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  11月16日
(水)
診察室の明暗
 

 15日の記録を見ると、10行以内で治療の要点って書けるものなのねと思うけれど、自分の記録のためと思い、長文を書くことにした。
 寒くなるとみなさん出足が遅いようで7時20分到着でも病院一番乗り。採血は不慣れな技師さんがやって失敗。すぐにあきらめたので、前々から顔見知りの人が代わってくれたが、この人も手の甲で失敗(とっておきの場所でもとれないことはあるのだ!!)。結局、腕で見つけてくれた。
 

 病院の待ち時間は、いろいろな人がいてすごいと感心させられることが多い。この3年半で10ヵ月しか家にいたことがない(後は入院)という人も、一時は命をあきらめろと言われたほどだったのに奇跡的に生還し、外来で通っている。小枝のような足をホラ、こんなに細いと言って見せてくれた。 でも、味覚障害のため、甘い果物を食べても舌にビビビッとくるという。
 ある患者さんは他の人に「踏ん張れるところまで踏ん張らなきゃ」と話していた。病院は人生の奥深さも学べるみたい。

 ■診察室にて
 「先生、今日は岡山に午後から出張するんですけど」
 S先生「おーっ、今日行くの?」
 (この間の事情を説明)
 「お泊まりで行くの?どうする?1週間ずらしてもいいですよ」
 「えっ、なんで?」
 「だって、そんなのだいじょうぶ?本当に? 注意してね」
 「はい、マスクしていきます」(←全然そんな気はなく、マスクも用意していない)
 「今日マスクしてもしょうがないけど(←見透かされた)、風邪をひかないでね。そうはいったって体力使うからね……」
 「今は体力あるし」
 「いやいやいやいや、どこが〜」
 「(今日やらないと)計画がずれてくるからだめなんです。あとは何ともなく元気です」
 「あれ、なんで行くんだっけ、つばめじゃなくて」
 「あ、出てこなくなった。こだま、ひかり、そうだ……、のぞみです」(この辺り、ボケ老人同士の会話になるとこういうことが頻繁に起こるのかもしれない)
 
 「今日腫瘍マーカーとってるんですよね?じゃ、後からきいて帰ります。前に下がってもギュ〜ンと上がることはない?」
 「ありえる、ありえる」
 「先生、脅かさないでください」
 「%£Å‰♯#&*(@_@)本当に」(オフレコ1)
 「先生、私が頑張っている間はここにいてくださいね〜。末期といわれて長い間頑張っている人もいるのだから」
 「まだ全然末期じゃないですよ」
 「先生が学会発表できるぐらいに頑張りたいと思って。特殊なケースで頑張ればできるんでしょ」
 「まれにみる長生きした1例ってやつ?そういうことか。学会発表ねぇ。※£◯§&♯$□◎(オフレコ2)」
 「先生、今のでオフレコのとこってありますか」
 「結構本音いってるからオフレコですね。まぁ、そんなことを言ってたってことで」
 オフレコかと私がきくぐらい、先生、元気ない。「徒然草」の兼好法師みたいに無力感が言葉の端に漂う。ここで採血結果をチェックする画面を開く。

 

 「お、腫瘍マーカー、下がった!!か・な?」
 (折れ線グラフにして)「あ、下がった」
 「やった〜ぁ、最近、(タキソテールは)おタキ様ですよ。もう少し下がってくれないかな〜(←人間の欲望は果てしない)
 
「台状変形、Vカーブ、違うね、Vカーブではない」
 「また、元気に治療してまいります」(←声が弾む)
 「ねぇ、よかったね」
 「はい、ありがとうございます。また明るい診察室だった。(ここで一息おき)先生、今日暗くないですか」

 先生は電子カルテに打ち込みながらポソリと答える。
 「いや、違うんだ。ちょっと今ね、病棟が大変なの(重病の人がいるから?)、そうそうそうですよね、先生も大変ですよね)、ほら、間違えちゃった」
 
「これで終わり?じゃいきます(と画面を撮影)」
 
 その後、採血のデータをもらう。
 「先生、重病の方がいると少し落ち込まれて話す内容が元気ないんですね」
 「うーん、ずっと考えますからね。いつもノー天気なわけではないですから」(←ショボ〜ン) 

 「先生はノー天気にしてませんよ」
 
なんだか、こちらが元気づける形で診察室を後にした。この間7分30秒。

<注>私は仕事柄、会話から相手の心情を読み取る癖がついているから、このような会話になっただけで、先生が落ち込んでいるのはけしからんなんて言わないでね。医者も人間であるということがよく理解できた。こうやって患者のことを心配してくれる先生ばかりだったら、医療はもっとよくなるのに なぁ。

 ■副作用が大変な人は気の毒
 その後、点滴を受けて戻ったが、隣に寝ていた他科の患者さんは吐き気と下痢の副作用がひどいそうで、「よくなって帰るのならば張り切って行こうという気がするけれど」と看護師さんにぼやき、「気分的なものがあるのかもしれませんね」と慰められていた。
 そして、吐き気止めを使っているのに、1時間位したら2回も吐いていた。この薬は効かなくなって変更になるから今日が最後なのと言っていたが、それならば苦しい思いをして治療をしなければいいのにとチラリと思った。私ならば断るだろうな。

 また、隣の男性患者さんは毛深いらしく、看護師さんから「腕の毛をそっておくと、(点滴固定のためのテープを)はがすとき痛くないですよ」と言われていた。
 
 ■副作用か、モーレツな食欲!!
 戻ってから弁当を食べ、岡山へ。全日空ホテルと並んで評価が高いホテルに宿泊。ツィンユースをシングルにしてくれたので、広々としていて、ついつい撮影してしまった。それにしても、なぜこんなに食欲があるのだろう。ホテルの15%割引が使える店に行って食事後、なんとそこで売られていたケーキまでも部屋にもちこんだ。食欲が旺盛なのはステロイドの関係できっと副作用なのだと思いつつ舌鼓。なんとも幸せな副作用である。食べてすぐ寝るとブタになると思ったが、すでになっているので、寝ることにした。

  翌16日、仕事をルンルンとこなし、新幹線普通車で戻ってきた。健常人と変わらず、元気だった。車両入口付近に向かい合わせで座っているオバタリアン4人組が車両全体に聞こえるギャハハハという笑いが東京まで続き、皆振り返って見たり、「ひんしゅくものだね、誰か注意しないのかな」という声が聞こえてきたりしたが、注意して分かる人は最初からそんなことはしない。この人たちはどこへ行っても茶の間だから、社会という概念はない。きっと娘は電車の中でも平気で化粧をし、息子は混雑した電車の入口にしゃがみこんで下車するときに飲食のカスを置いていくのだろう。きっとそうだと決めつけてしまった。 
 下品な大笑いも、他人に迷惑をかけるようでは思いやりの心に欠ける。


  11月15日
(火)
出張行ってきます
 

  本日も駒込病院着1番札。不幸にも採血は3度ブスッ。20分かけてすったものんだの採血を終えた後、レントゲン撮影。診察、化学療法と1コース終えて戻ったら、1:30。これから明日の仕事のため、岡山へ行ってきま〜す。でも、腫瘍マーカー(CEA)は13.7、先月から3.2下がりました。バンザーイ。

  来週に治療を延期しようかと先生にいわれましたが、今後のスケジュールが狂うので、本日やってもらいました。副作用もなく、元気です。というわけで、報告は明日以降にします。では、行ってきます。


  11月14日
(月)
顔施&
たかこさんのアメリカ便り
<2> 
 

 私は眉根の間に2本深い皺が刻まれている。年の割には皺が少ないのに、ここだけは40代のころから気になっていた。「コンタクトが合っていないからだよ」といわれるが、コンタクト、眼鏡ともに、ここ3年は遠近両用をしているのに、近くが見えにくい。
 今朝起きたときにmiyaさんから「寝ているときに顔に力が入っている」といわれた。眉根にギュッとシワを寄せているのだそうだ。当たり前だ、もうシワは刻まれているのだもの。

 「がん細胞を寝ながらもやっつけているから、ギューッと顔に力が入ってるんだよ」
 「ううん、がんになる前から眉を寄せて寝てた。寝ているときぐらい筋肉ゆるめたらいいのにと思った」
 「顔力」という言葉なんてあるのだろうかと検索をかけたら、ある、ある。NHKのためしてガッテンで2002年10月16日に放映された中に「本邦初ヒロウ!これが顔力だ」という項目があった。 疲労に披露をかけて、ヒロウ!としているようだ。これは「かおぢから」「がんりょく」、どう読むのかと調べたら、リハビリメイクに取り組んでいるかづきれいこさんが2001年にすでに「顔力(がんりょく)」という本を出していた。
 「がんりょく」か。私の場合、「顔力」でなく、「癌力」がのさばってしまったなぁ。
 
 「顔力」はともかくとして、「顔施」という言葉を思い出した。 
 仏教の用語で、布施には、1)(優しい)眼施、2)(穏やかでやさしい)顔施・和顔施、3)(心のこもる)言施・言辞施、4)(人に尽くす)身施・力施、5)(思いやる)心施、6)(譲り合う)座施・床座施、7)(困っている人を助ける)舎施・房舎施があるそうだ。
 全部は覚えられないので、せめて「顔施」「言施」「心施」の3つは心がけよう。
 
 「顔施」を調べていたら、(株)プリンス技研社長大谷國彦氏の個人サイト「無相庵」の中でこんな話を見つけた。その後、掲示板のNo173「笑えない」(9月13日)の発言に対して 無相庵さんが回答(No174)しているのを読み、ホッとした。つらさを内に秘めて微笑むのも修行であり、そう簡単にできることではないと分かり、思わず「ウィッキー」と心の中で言った。


 以下、たかこさんからのアメリカだよりが届きました!!

 たかこさんのアメリカだより<2> 

 ■病院の食事は……
 アメリカで入院したときのことです。
病室はプライベートルームを希望するかと聞かれたので、いくら?と聞き返したら「プラス$140。でもこれは保険でカバーされません」というので平民部屋で我慢することにしました。

 アメリカで4人部屋、6人部屋というのは聞いたことがないので平民部屋でも2人部屋です。どんな平民部屋にも自分専用の電話とテレビとトイレが付いているのでありがたいです。

 でも食事は最悪です。日本の病院食はいいよなぁ、といつも思います。ゴムぞうりかと思うようなステーキが出てきたことがあります。これが消化できたら退院だよ〜ってことかと思ったほどです。それと冷め切ったオートミールを舌切り雀のおちょんの気分で舐めたのでした。

 ■大学病院にて
 大学病院の待合室にはいろんな人が出入りしていて雑誌を見る振りをしてチラチラ盗み見るのが結構楽しいです。

 ある日のトップ3です。

1.

歩行器を自分で押しながらタッパーに入ったマカロニサラダを器用に食べているヒスパニック系のおばちゃん。

2.

 全身星条旗カラーの白人のおじいさん。
 帽子、シャツ、ズボン、靴(靴紐も)、首に巻いたスカーフも杖までもぜ〜んぶ星条旗の柄。羽織っていた上着の背中に退役軍人の刺繍あり。

3.

 日本人だったら絶対に選ばないような色合いのアクリル毛糸で編み物をしていたおばちゃん。
 しかも、どう見てもしょっちゅう目がとんでいる。編み物をほとんどしたことがない私が見ても模様編みじゃなくて単に目がとんでいるだけだとわかるかなりめちゃくちゃな編み方。誰かへのプレゼントだろうか……。

 というわけで退屈はしなかったけれど病院までは往復180kmあり、帰りは帰宅ラッシュに入って家を出てから戻ってくるまで5時間かかり、やはりちょっと疲れました。大学病院の大先生に会いに行くためには体力も時間もガソリンも使います。


  11月13日(日) 
miyaさんの昔話<6>

 今日のは木製のサキソフォンを吹く人形がメインです。なんだか妙にすっとぼけた味わいがよくて近くの店で 即決で買いました。でも招き猫シリーズなので、右にカエルちゃん、左に腹時計がついた金色の招き猫を置きました。これは犬かタヌキか、はたまたネズミか作者じゃないと分かりません。

 相棒のmiyaさんは現在プログラマーという職業だが、以前は全く関係ない仕事をしていた。
 某私立音楽大学に学び、学生時代からジャズピアノの仕事をしていたが、忙しくなったので大学を4年でやめてしまった。

 返還前の沖縄海兵隊基地クラブで演奏していたら、軍属(軍が雇用している民間人)に「譜面が読めるのだったらベトナムに渡って米軍基地で慰問の仕事をしない? 危険手当てもたっぷり出るよ」と誘われ、知らない所、行ったことのない所が大好き人間は、「はい、はい 、行きます」と引き受け、ベトナム海兵隊基地クラブや前線慰問のバックバンドでR&B、Jazz等の仕事をした。
 
 日本へ戻ればジャズだけの仕事なんてそうそうあるものではない。それで、いつしかさすらいのバンドマンになっていった。バンドマンといっても「ハコ」と「ヒロイ」と区別され、「ハコ」というのは、固定したキャバレーやクラブの仕事、「ヒロイ」というのはフリーでの仕事。分かりやすく言えば「プータロー生活」。これはどうしたらなれるのかというと、自分で「私はフリーになりました」と言えばよい。
 
 しかし、フリーと言ってもかっこよいものではなく、演歌歌手の営業の仕事について地方へ行くことがほとんど。いわゆるバンドの仕事も、戦後から始まった美味しい時代の最後といえる“残響部分”にさしかかり、急速に斜陽化が始まっていた。
 
 バンドにはもう将来性がないと感じたmiyaさんは、ちょうど8bitのコンピュータが個人でも買える時代になったチャンスを逃さなかった。彼は、鉄道少年→ラジオ少年と“ヲタクの王道”を歩んで来たので、躊躇なく購入し、独学(今のように本も なく、乏しい情報を頼りにするしかなかった)でいつしかプログラマーとしての生活に切り替えていったのである。そして、今日“ヲタク道”を貫き、コンピュータおやじになっている。

 バンドマン生活時代はそこそこ収入がよいわりに時間もあったからうまくいったが、その時期に切り替えられなかった人はバンドの仕事自体が減ったので苦労しているようである。

 バンドマン時代の話は抱腹絶倒物なので、うまく伝えられないかもしれないが、箸休め的に記録していくことにした。「さすらいのバンドマン」を主人公にした小説を書けばというのだが、今は時代が違うから売れないよとそっけない。そういえば、いまは音楽テープに口パクが多いから、バンドマンといっても通じないかもしれない。

 でも、音楽の構造や音程にはめっぽう強いから、今の音楽(←miyaさんは「語り物と言うジャンルだよ。あれが音楽なら、私はお殿様ですと言っても嘘ではないとのたまう)はとても聴いてられないということで、私は歌番組を全然聴かなくなってしまった。
 なんせ、音程が比較的正確と評価したのが米米クラブの石井
竜也と、ドリカムの吉田美和しかいない。あとはケチョンケチョンなのだ。

 でも、音楽素人な私がきいていても「ひぇ〜、声が裏返ってひどい」とか「音程めちゃ外してる」といった歌手が多いから、miyaさんが切ないねーと言うのも無理はない。

 ■miyaさんの昔話<6>○○刑務所以来だね
 バンドマンには刑務所慰問という仕事があった。地域の興行権を仕切っているその筋の人がつかまると、刑務所内で勢力を誇示するために、「おれはタレントを呼べるのだ」と言って、その筋を通して慰問に招く。タレントは大体決まっていて、演歌系の歌手になる。

 男性刑務所には男の歌手が行くが、女性刑務所に興行権をもつ人はあまり入所しないので、あまり慰問はない(たまにはあるが)。

 まれに、女性歌手が男性刑務所に行くことがあり、そのときに、慰問を見たい服役囚は興奮しないように、グランドを何十周か走らされる。見たくない人はタバコの支給があり、グラウンドでプラプラしていいそうだ。

 講堂への楽器の運搬は服役囚がしてくれるのだが、出所が近い人がするので髪の毛も坊主でなく、少し長くなっている。
 刑務所に入ったばかりの人から、出所近い人まで、ランクが分かれ、面会できる人や諸々のことが決まっているといった刑務所の仕組みなどの説明を受けつつ、いざ慰問会場の講堂へ。
 服役囚たちはみな正座して待っている。
 慰問は、女性演歌歌手、漫才、手品などの人がセットになって行う。漫才の人はドサ回りでよく会う顔なじみである。仕事も無事終わり、ガハハハなどと笑いあってその日は別れた。

 それから数ヵ月後――
 上野から山の手線に乗ったところ、離れたドアから漫才の人が乗ってきた。見た顔だと認識したとたん、「お〜〜い、miyaさん、久しぶりだねー。黒羽の刑務所以来だねー」と大声。
 とたんにmiyaさんの周りの人たちがズズズと後じさりし、妙な空間ができた。

 「変なこと言わないでくださいよ。誤解されるでしょ。刑務所慰問以来と言ってよ」と言ったら、「行った事実は変わらないよ」
 「それは少し違うよ」と大笑いになったそうだ。
 miyaさんは凶悪な顔はしていないが、きっと私がその場にいてもズズズと逃げたことだろう。
 20数年位前、miyaさんが30代のときの出来事である。刑務所慰問は5〜6回行ったそうだ。

散歩中に見たボンビー猫。目やにいっぱいで目の位置が分からず、よだれを垂らしている。ほっとけないけど、ほっといた。

6kgはありそうなデブの飼い猫。幸せな猫はどこまでも幸せそうでかわいい。猫の世界も人生いろいろ。


  11月12日(土) 
患者1年目の方へ

 新しく患者1年目の方へのアドバイスページを作成しました。

 これは、メールをくださった同じ肺がん患者のたんぽぽさんとともに作成しました。たんぽぽさんはまさに患者一年目。ピカピカの一年生です。患者の家族の方からこれまでいただいた質問などに答えていた内容をまとめたものです。たんぽぽさんの情報は最新の現在進行形です。たんぽぽさんにメールあるいは質問をしたい方は私あてにメールください。必ずお伝えします。スパムメールが増えているのでご了承ください。

 病気になって、同じ病気の方や、アメリカにいるたか子さん、患者家族の方々と知り合いになれてよかったです。そういう出会いは仕事を通じてはありえなかったもので、人間的にも(ボディを含めて)まぁるくなったような気がします。今日は招き猫お休みします。


  11月11日(金)
踏ん張れ

 日本経済新聞「こころの健康学」は慶応技術大学保険管理センター教授大野裕氏が連載し、毎回元気になることが書かれている。11月8日は「つらく逃げ出したい」のテーマで、米国留学中、言葉が通じないなかでの研究に励むつらさについて記していた。 

 

「孤独感が強くなって、気分が沈みがちになる。これから先どうなるのだろうと不安にもなる」
「私たちはつらい気持ちになると、そこから逃げ出したくなる。(略)気持ちに余裕がなくなるとつらさばかりが目について苦しさが増す」
「そのとき何とか踏ん張って勉強を続けられた。多くの人に助けられたのが大きかったが、今はそこで踏ん張った自分をほめてやりたいという気持ちも強い」
「無理をしすぎることはないが、できるかできないかはやってみないと分からない。自信がなくなって逃げ出したくなったときに、その気持ちと逆の行動をとってみることも長い目で見れば役に立つ」(日経新聞11月8日大野裕氏の「こころの健康学」より抜粋)

 大野さんが書いたのは体験をもとにしているが、がん患者が、がんになったという事実を受け止めてどう対処していくかにも共通している。
「踏ん張れたら得るもの大きく」とのサブタイトルがついているが、「頑張れ」でなく、「踏ん張れ」というエールもよさそうだ。

 ■もうこの辺で
 続いて「こどもと育つ」という欄は女優の中井貴恵さん。タイトルになっている「上を見たらきりがない」という言葉は私の母もよく言っていた。

 1冊の絵本『つりばしゆらゆら』(あかね書房・854円)が転機になったという。キツネのこんすけ君が吊り橋の向こうにいるキツネの女の子に会いたくて毎朝、橋を渡る練習をするもののやっぱりこわくて渡れず「またいつか、あそぼ」といって終わる話。
 周囲から「頑張れ」と励まされて頑張ってもできなかったことがいっぱいあった過去を思い出し涙が出たそうだ。7年前に「大人と子供のための読み聞かせの会」をつくり、ボランティアで700回以上も公演していることを知り、地道に活動されていることに感心した。
 彼女の場合、子育ての「つらさ」を語っている。
 

「もっと○○しよう」「もっと××ならいいのに」では際限がなく、つらい。「この辺でいいんじゃないの」「これだけできれば上出来」といったとらえ方が大事なのではないでしょうか。端的に言えば他人と比べないこと。これは、あの絵本が気付かせてくれた大人へのメッセージだと思います。(日経新聞11月8日中井貴恵さんの「こどもと育つ」より抜粋)

 すぐがんのことに結びつけてしまうのだが、叔母が亡くなったとき、従姉妹は「もうゆっくり休んでいいよ」と声をかけていて印象に残った。

 ■役立つサイト

 もう一つ、武田食品工業の運営する「おはようページ」が紹介されていた。食生活の改善に役立ち、献立も指南してくれるサイトだという。
 日経新聞は夕刊がいいので、以前「夕刊だけ購読できないの」ときいたことがある。もちろんだめだった。5項目ぐらいの分類で新聞の切り抜きをするため新聞が山になっているのだが、切り抜いても整理ができず、ほとんど見ることがない。このあたりの情報収集をみなさんはどのようにしているのだろう。