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  11月30日
(水)
miyaさんの昔話<8> 泳げない理由 

 昨日は夜8時からウォーキングに出かけた。その日のウィッキーは何だったっけと考えながら歩いたら、「夜に食べた生ガキ3個がおいしかった、 居酒屋で食べると1皿3個600円だよ〜、うちらは3個200円だからよかったね」とか、「鍋もおいしかったね」ということしか思いつかない。でも、miyaさんの話がおもしろかったので早速まとめてみた。

 ■miyaさんの 昔話<8> 泳げない理由
 文京区は学校が多い。きれいな校舎の横を通り過ぎたときに、miyaさんが「急に腹が立ってきた」と言った。

 ◎小学生時代
 miyaさんは団塊世代の一番最初である。本人がいうには「粗末な教育環境で過ごした」。当時中央区に住んでいたが、幼稚園は抽選で外れ、小学校に入学した最初の年は教室が間に合わず、都電の廃車が急遽教室になった。都電に入るクラスは学期ごとに交代するのだが、1クラスに55〜57人もいて、12クラスもあった。その後の学年も児童数が多いので校舎増築の計画が立ち上がり、校庭は資材置き場と化した。プール は当然なかった

 小学校の春の遠足は、千葉県稲毛海岸への潮干狩り。バスでなく京成電車に乗って出かけた。帰りは網に入ったアサリをもってみんなビタビタと水を垂らしながら大はしゃぎで電車に乗った。今ならば大ひんしゅくものである。こういうことがあったから、miyaさんは電車の中の子供には非常に寛大である。当時、チューブ入りチョコレートなどお菓子をいろいろもっていったが、アサリをつかんだ生臭い手で食べたからおいしくなかったのが思い出だそうだ。
 小学校の遠足では日光にも箱根にも行っていない。秋になると都電を貸し切ったりして近場に行った。

 ◎中学生時代
 小学校を卒業、中学へ進んだ。
 中学は入る早々、新校舎建設のため、プレハブ校舎に詰め込まれた。夏は暑く、冬は寒い。3年間新校舎が完成しなかったので入れずじまい。災害のためにプレハブ仮設住宅に入り、文句を言っている人たちを見ると、複雑な思いがするそうだ。

 グラウンドはもちろん工事で使えず、プールはなかった。このため運動会は別の場所を借りて行われた。そのころから東京オリンピックを控え、あちこちで工事が始まり、都心地域は人が住みにくくなった。miyaさんは中学途中でやむなく中央区から荒川区に移った。買い物、銭湯など生活の場がなくなると、便利な場所を求めて引っ越さざるをえない。だから、miyaさんはオリンピックに良い印象を抱いていない。「きっといろいろな所で不便な思いをした人がいるはず。大体都市のまんなかを高速道路が走る国なんてないんじゃないの。ふつうは迂回するでしょ。パリのエッフェル塔近く、ニューヨークの自由の女神近くとか、住宅街の真ん中に高速道路が走ってる?」

 ◎高校生時代
 高校は越境入学で、当時の都立名門校へ。校舎は古く、講堂と体育館が別々にあり、教育も進んでいて、ゆとりある高校だった。だが、プールは水もれがするといって使えなかった
 隣の庭園と学校を隔てる塀に穴が空いていて、自由に中に入れたので、夕方、誰もいない庭園内を散歩するのは楽しかったらしい。

 ほとんどの生徒が国立受験をする高校だったので、卒業の年に行われる受験相談では「えっ、私学をお受けになるの? じゃあ、相談することもないでしょう。適当に内申書は書いてあげますよ」といわれた。なぜ音大を目指したかといえば、受験学科が少なく、実技試験が先に行われたからである。ピアノは中学から習っていたが、習い始めが遅い(要するにたいした音楽の才能はない。音感も相対音感)ので演奏家は無理と判断し、音楽を学問として勉強しようと考え、「楽理」を受験した。

 だから、今でも、音楽に関してはすぐ分析し始め、「ほら、ここで五音音階が出てくるでしょ、これは流行歌の特徴なの」「リズムは海外をまねしてドンパタ新しいことをやっていても、こういう旋律が内側に入っていると、若いのに演歌のセンスだよね」などと能書きがうるさい。音楽番組を見せないための嫌がらせかと思われるほどである。

 ◎音大生時代
 無事音楽大学に入学。女子寮はものすごくきれいなのに、男子寮はあばらやだった。miyaさんは自宅から通っていたが、友達が寮暮らしなので、しょっちゅう遊びに行っていた。あばらやの連中は、学校のレッスン室を使えばいいのに、学校へあまり行かず、夕方起き出してあばらや寮で練習するものだから近所でひんしゅくを買っていた。

 クリスマスの季節になると管楽器をもって5〜6人で近所の家を回り、玄関で「きよしこの夜」を演奏したこともあった。音大生だから、それはそれは美しく上手に演奏する。miyaさんはピアノが主だったが、音大の学生は副科といって必ず別の楽器もやらされ、打楽器だったので、こういうときにはトライアングルを担当した。

 家の人が音楽に驚いて玄関に出てくると、「主のおめぐみのあらんことを」などと意味不明なことをいい、次の家へ行って同じことをした。飽きると寮へ戻って酒盛りしたり麻雀したり。麻雀しながらもクラシックのシェーンベルグやアルバン・ベルクなど新ウィーン楽派という一般の人が聴かないような音楽を大音量でかけ、「あ、それポ〜ン」などという合間に「お、今のところはこういう低音の進行だよね」の会話がとびかっていた。
 
 学生は1100人中、女子が1000人ぐらいを占めていたので、体育は美容体操みたいなもので、参加していれば単位をもらえ、プールはもちろんなかった
 
 ◎昭和の体育
 かくて、miyaさんはいまだに泳げない。サッカーや野球など団体競技は何人でやるのか、よく知らなかった。小学校、中学校の男女別体育は、2学級合同で区のグラウンドなどを借りて広い場所が必要な競技をした。だから、全体÷2で、1チームは20数人単位だった。サッカーは20数人ずつのチームが敵味方50数名でグラウンドを走り回り、「競技というより人混みだったねー」と振り返る。全員がフォワードで、ゴールキーパーは5人もいた。ルール無用でボールを蹴っているだけだった。
 

 ソフトボールは授業中にとうとう1回も打席が回らない子もいた。外野はいっぱい守っていたが、それでもライトゴロで3塁打になることもあった。イチローはライトに飛んできたボールでランナーを刺してライトゴロにしたことがあるが、通常ライトゴロなんて考えられない。外野みんなでボールの奪い合いをしていたから、ランナーはゆうゆう3塁まで行けたのである。それはもう粗末な授業だったそうだ。
 
 miyaさんは教科書を買うと、春休み中に全部読み物として読んでしまっていたので、記憶力のよさを発揮してその年1年間はさほど勉強しなくても結構好成績で過ごした。中学、高校も同様だった。勉強せずに空いた時間を鉄道少年やラジオ少年として過ごしたので今日の“コンピュータおじさん”が形成された。

 そんなことを話しながらウォーキングしていると、「紅茶とマドレーヌ」をきっかけに少年時代に遡っていくプルーストみたいだねなどと気取ったことを言う。私は「紅茶とアップルパイがいいな〜」と思ったが、プルーストは「失われた時を求めて」しか知らないと言ったら、そのことなんだけどと言われた。

 ウィッキーを探すつもりが、ほろ苦い思い出になってしまった。団塊の世代は泳げない人が結構いるよとmiyaさんは泳げない言い訳を時代のせいにしている。その代わり、ベーゴマ、メンコ、駄菓子屋のおばばや紙芝居おやじとの駆け引きなどは名人級だったと自慢している。

 この文章を昨夜まとめ(miyaさんのチェックが入った)、今朝アップしようとしたら、11月30日の日経新聞「春秋」に昭和30年代を懐かしむ文章が出ていた。
 この時代は団塊の世代が洟垂れ小僧で活躍していたのである。よかったなぁ。

 【追記

 ……おーっ、今(正午近く)、メールをいただき、たんぽぽさんも荒川区でずっと過ごし、プールはあったけれど、泳げないそう。ちなみに私は小・中・高校とプールがあり、小学生ですでに泳げ、中学では200m泳げないと体育の最低点がもらえなかった。
 
 たんぽぽさんは私たちよりずっとお若いけれど、「私も小学校は校舎が足りず、仮設校舎。全校生徒1300人という記憶があります」とのこと。私も中学・高校では1クラス50人ぐらいでG組まであった。生徒が多いのも楽しかったなぁ。(右は、「近くて懐かしい昭和あのころ」という冊子。懐かしい写真が掲載されている)。

 イエローリボン 希望の部屋 「コスモス便り その9 11月28日(直リンク ごめん)」に、コスモスさんがやはり昭和のことを書いている。内容は見てのお楽しみ。それにしても、昭和の本や作文帳をいまだに保存しているのがスゴイ。必見!!   
 コスモスさんの作文を見て、miyaさんも「小学生の遠足で、日暮里から電車に乗ると争って一番前に陣取り、鈴なりになって多くがかぶりつきで運転席から前を見ていた。そのことを作文に書いて学校の賞をもらったことがあった」と笑っていた。


  11月29日
(火)
がん・感染症医療センター

 私の通っている病院が「がん・感染症医療センター」になるとの新聞記事が今朝の日本経済新聞東京版にのっていた。

 1病室当たりのベッド数も減らして入院患者が快適に治療を受けられるようにする計画とされている。1部屋6人だったが、3〜4人のときが精神的にもちょうどよかった。2011年9月完成予定。でも、それ以後は「どちらの病院ですか」ときかれたときにいままでならば「駒込」でよかったのに、「がん・感染症医療センターです」というのはなんだかいやだなぁ。
 ……というわけで、やはり無意識のうちに、がんであることに引け目を感じているのかもしれない。堂々と 「私はがんです」というのはそれで仕事が増える人はいいけれど、多くの仕事をもつ人はそういうわけにいかない。

 「完成後の建物の維持管理や医療事務処理なども民間に委ねる方針」とされているが、「など」という部分が気がかり。今、話題のマンションごまかし責任押しつけ問題を見ても分かるように、民間、民営化が必ずしもよいわけではない。


  11月28日
(月)
ケロリン堂さん
ありがとう

 昨日は気に入ったものがたくさんあったのに、持ち金が少なく買い物ができなかった。つましく買ったものを公開!!
 写真右のお札は「ふくふく猫」で購入したもの(1050円)。「大喜び」とか文字はいろいろあったけれど、「大笑い」を選んだ。
 中央はいつものカエルちゃん(大きさ比較のため)。一番左はケロリン堂のケロンちゃん(上の写真をクリックすると拡大)で、なぜか好物のソフトクリームをもっている。miyaさんがこれを見つけるなり、「カワイイ」と舞い上がり、価格も手頃だったので購入した。

 ここは確かホームページがあったからリンクしなくちゃと思ったら、キャ〜、うれしい。その日は店主がお留守だったが、掲示板No.175に「11/27ホンワカ店員I」さんのコメントが入っていた。この日は土曜日で来店客も多かっただろうに、「さて、今日もステキなご夫婦が初めてのご来店(^^)」というのは、な、なんと我々のことである。

 私は「店内のあちこちを飛び回る奥様」と表現されている。この日はカエルと招き猫尽くしだったから、メチャ舞い上がってしまったのだ。
 おたまちゃん(おたまじゃくし)が「最近どう?」と言っている絵を見て、「プリモプエルみたい〜キャッキャッ」などと話していたから目立ったのかな。わずかな金額しか買わなかったのに、感激。

 ■睫毛の話
 ところで、抗がん剤によっては脱毛があることはよく知られているが、眉毛どころか睫毛まで抜けるとは思わなかった。睫毛がないとゴミが入りやすい。なぜか朝起きたときに、上下のまぶたがペタッと糊でくっつけたような感じだから、目が開かなかったらどうしようと一瞬あせってしまう。そして 何より、目の表情が生きてこない。睫毛の働きはゴミよけだけかと思っていたが、睫毛のおかげで美しい目元が作られているのだと分かった。 

 目がパチクリとした人にとっては、睫毛が抜けるのは髪の毛よりもショックかもしれない。先生は脱毛する薬について眉毛も睫毛も抜けるよとは教えてくれないから、ある日、睫毛がないことに気づいて、なんだこれは!ということになる。私は患者の先輩から教わっておいてよかった。昔、電車で隣に座った少年の睫毛が異様に長く、黒々としていて、憂いを含んだ目というよりも、目を閉じるたびにパタンパタンと音がするのではないかと思ったぐらいだったが、睫毛の長い人は抜けるショックも大きいだろうから、睫毛なんてあってもなくてもあまり変わらない顔でよかった〜。

 食欲も旺盛で元気だけれど、左足の中指と薬指のしびれがここ数日続き、両手のすべての爪に3本位の横しまが入ってしまった。爪は健康のバロメータといわれるけれど、副作用とはいえ、この爪を見ていると、なんだかすごく不健康になったような気がする。がん細胞をやっつけてくれるすべてのものに「おのおの方、油断してはならぬぞ」とカツを入れたい感じだ。


  11月27日
(日)
谷中めぐり
 

  昨日秋葉原から5.7km歩いて帰り、途中千駄木で疲れてバスで帰った。でも、私もmiyaさんもこのごろ疲れるねと言っていたのに、すごく身体が快適になったので、近頃運動不足であったことにハタと気づき、今日は散歩に出かけることにした。6.7km歩き谷中をブラついてきたが、谷中というとマスコミは下町というのでおもしろい。下町=庶民の町と勘違いしているからだが、昔、江戸城から見て、台地ではないところを下町といったわけだから、谷中はただの「谷中」である。「編集者は地方から出てきた人が多くて、東京の人と接してないから、分からないんだね。東京の人が東京の田舎者になっちゃった」とmiyaさんは笑う。miyaさんは山手線内側にお墓があるので、いちおう東京人といえるため、山の手、下町についてはやけにうるさい。

 今日のコースは、六義園〜千駄木〜谷中〜裏道めぐり。快晴で、犬を連れた人に話しかけたりしてとても楽しかった。帰宅してズラをとったら、「yururiさん、日焼けして顔と頭の色が違うよ。カッパみたい」と言われてしまった。ズズッ。
 
 本日の模様を写真集(56Kbpsで54秒、それほど重くないはず)にしたので、紅葉、犬、猫、カエルをお好きな人はぜひ!! 今日は本物の猫や招き猫の写真が多いので、こちらの招き猫はお休み。


  11月26日
(土)
御安全に!!
 この2つはな〜んだ。なんかお菓子のヒヨコのようにも、鳥のようにも見えますよね。右がグランドチャンピオン、左がル・レクチェという西洋なしです。ラ・フランスだけが西洋なしというわけではないのですが、追熟が難しいので、スーパーでは取り扱いを敬遠して、なかなか普及しません。ラ・フランスは外側の色があまり変わらないから見分けるのが難しいけれど、ル・レクチェは食べ頃になると、このように黄色くなるから分かりやすいのです。西洋なしは飾っても絵になるといわれますが、これだと漫画ですね。ウィッキーじゃなくて、ニッコリって感じ。そういえば和梨に「にっこり梨」もあるそうです。

 ■miyaさんの昔話<8> 御安全に
  今はすでにないプロジェクトの話。15年位前、某製鉄会社でクリーンルームをつくって半導体を製造するプロジェクトが立ち上がり、製造工程管理をしたいというので、何人かで打合せに行った。「大手の会社なんだから、自社のシステム部でやりゃーいいじゃないか」と気乗り薄。部署単位の小さな仕事はシステム部ではやってくれないらしい。

 当日○○製鉄の正門前で待ち合わせていざ入ろうと思ったら、守衛さんにストップをくらった。そこのメインは当然製鉄だが、工場に入る人は安全教育講習を終了したというカードがないと入れないのだそうだ。
 「そんな話、きいてないよ〜」
 「いや工場に入る人は全部受けてもらわないと困る」の押し問答。
 「講習を半日受けてもらうからね。ヘルメットや安全靴は? 持ってきてない?じゃ入れません」
 打ち合わせをする責任者に電話を入れるけれど不在。
 「じゃ、今日は帰って明日また出直してきます」というが、安全講習を受けていないといつ来ても入れないよとのこと。

 あんまりやりたい仕事でもないので、同行者に「急ぐこともないから受けていきます?」と聞くと、面白そうだから受けましょう。ということで安全講習を半日受けることにした。製鉄作業に関する注意等がメインの講習であったが、内容は至極ごもっとも。最後に質問は?という問いに、「半導体製造に関する注意が何もないのですが、安全上の留意点はありますか?」と聞くと、「当社は製鉄所です。それ以外の作業員の外注は頼んでいません。どこの協力会社から来ましたか」とかみ合わない話。

 終了後、再度責任者に電話をするがまだ不在。仕方がないからまた出直すかと帰ってしまった。好奇心旺盛なmiyaさんだから講習は結構おもしろかったらしい。

 ところが、夕方責任者から電話があった。なぜ打ち合わせにこないと怒りを含んだ声で詰問する。そこで、いきさつを説明すると「半導体はそんな講習を受ける必要はない。それは受付が知らないからで、なんで電話しないんですか」などといわれる始末。「だって、あなたいないんだもん」

 結局、後で分かったのだが、半導体関係の打合せは工場でなく、事務棟の建物に行けばよかったのだそうだが、背広を着ていかなかったので、守衛さんは製鉄作業に従事する人だと思ったらしい。企業の背広は、人や知識より重要なのかと、なんだか不思議な気がしたそうだ。

 帰りに守衛に文句を言うと、相手は協力会社風情にそんなこと言われる筋合いはないといった態度である。新プロジェクトとして作られた部署なので分からなかったらしい。
なんか、行政が運営する機関みたいだねとおかしくなった。

 翌日、改めて行ったときも、入り口で同様のことをいわれたが、胸を張って昨日もらった入構証を、水戸黄門様の印籠のように出し、胸を張って入った。その後も入構証をいつも持参し、構内で人とすれ違うときは講習で教わったとおり大声で「御安全に」と挨拶をしていた。芸能界や飲食業界の「おはようございまーす」同様、工場内では「御安全に」が挨拶用語だったのである。


  11月25日
(金)
歌うこともリハビリ
 

 今日は3日間のG-CSF(ノイトロジン注射)で、白血球が上がったかどうかを確認する日。朝7:30、病院近くでS先生が颯爽とママチャリで通り過ぎて行ったが、S先生は気 づかなかった。

 受付の順番は9番目。受付をすませて採血の予約が入っていないの に気づき、呼吸器外科の階へ行って、S先生に予約を入れてもらうように頼んだからよかった。 

 採血は以前に失敗し、すぐにベテランのIさんに代わった男性に当たったが、どこに刺すか迷った末、手の甲でとってくれた。1回で成功したからよしとしよう。 「一番最初の人がうまくいってよかった」とうれしそうだった。

 診察室に入ったのは9:30。
 「(白血球)7300に上がったけど、上がりすぎだよ。どこか悪くない?。あ、そうか、いつもすぐ上がるんだよね」
 「素直に治療を受けてますから。漢方薬(十全大補湯)も1日2回は飲んでます」
 (先生、ずっこけて笑う)「なかなか1日3回飲む人はいないんだよなぁ」
 「1日2回で効くんだからいいじゃないですか」
 「ちゃんと3回飲めばもっと効くの」

 今回、S先生が採血を忘れた件で、主治医が完璧に患者の個別治療スケジュールを把握しているわけではないのだから、患者の側がしっかりしなくてはいけないと自覚した。
 「先生、次は12月13日です」
 ここで先生は12月13日を開いて次回の予約を入れようとする。
 9:00台は3/2と書かれているので、ここに入れてもらえると思って「先生、9:00台はまだ1人空いています」
 「残念でした。1人すでに多いの」(←外れたのがうれしそう)
 というわけで、次の時間枠に入れてもらった。こういうときに話しかけると今日みたいに採血予約を入れるのを忘れられるから、ジ〜ッと見ている。 採血項目のチェックで身を乗り出す。
 「先生、中性脂肪も(検査項目に)入れておいてください」
 「いいんですか。悲しくなりますよ」
 「………」
 そう言いながら、先生は中性脂肪だけでなく、コレステロールの項目にもチェックを入れていた。
 うーむ、なんとかS先生の鼻をあかして次回までに中性脂肪とコレステロールを正常値にできないものかと考えながら、早々に診察室を後にしたので、本日はたぶん3分診療だった。
 
 ■「歌うこともリハビリ」
 たんぽぽさんから1年目の患者さんへのアドバイスが届いたので早速追加!!
 

 大きな声が出せない、それどころか、声を出そうとするとむせたり咳き込んだりという期間は2ヵ月くらいありました。深呼吸が気持ちよくできるようになった頃、歌えるようになっていることを発見しました。
 こんな時は、すらすらと歌詞が出てくる青春時代の歌謡曲!! ちなみに、私の青春時代は「聖子ちゃん」です。
 もちろん、演歌でも、オペラでもお好きなものを。私は今のところ熱唱系の演歌はまだ、苦しいです。
 大きな声で歌うと、ちょっと落ち込んでいるときも、気分転換になります。

 たんぽぽさんは保育園の先生なので歌が上手そう。私はこのごろ歌を聴かなくなり、好きな曲で思いつくのは、聖子ちゃんならば「赤いスイトピー」、そのほかチューリップ「青春の影」、米米クラブ「浪漫飛行」、 山下達郎「クリスマスイブ」。でも昔一番はまったのは、つのだひろの「メリージェーン」で30分同じ曲を入れて聴いていた。「ビートルズで育ちました」世代なので、コンポーネントステレオを初ボーナスで買って洋楽には凝ったが、日本の曲はあまり聴いていない。


  11月24日
(木)
こんな日もある

 今日もG-CSF(ノイトロジン)。看護師さんに、昨日S先生に注射してもらったと話すと「お上手でしたか」ときかれた。「皮下注射はどういうやり方を上手というのですか」ときき返すと、「肉の厚い部分に刺すと痛くないんです。プルプルって引っ張る人もいますよ」と教えてくれた。なるほど。皮下注射液が入るときに痛いといわれるが、毎回採血でトラブっていると、皮下注射の痛みはなんのその。  

  そして、今日最初のウィッキー。な〜んと12月1日からクレジットカードでの支払いが可能になるのだ。病院内のポスターでそのことを知り、帰りに支払うときに(そこにも案内が貼り付けてあったので)思わず「クレジット!」といってニッコリしたら、相手も「12月1日からです」と笑って答えた。うれしいなぁ。治療費がかかればかかるほどポイントがたまる。病院へ行く前に現金を確認しなくてもいい。

 ウィッキー2つ目。とても今日中には終わらないだろうと思っていた仕事が間に合ってしまった。昨夜あまりに眠かったから、1時間半だけ (←ノンレム睡眠によると、1時間半単位がいいらしい)寝ようと思ったら、夜中の1時半に目覚ましをかけたら、ベルが鳴ってあと5分だけ……朝になってしまった。もうだめだと観念したけれど、途中で手短にやれるほうに切り替えたら出来た!
 
 受験、就職、仕事など、もうだめだと思う土壇場で切り抜けてきた。受験も失敗したようで結局はいい方向にいったし、就職も出版社は落ちたけれど(衣食足りて住を知るって書いたり、泣いて馬謖を斬るなんて全然分からなかったりするようじゃ落ちても仕方ないよね。そんな難しい問題出すからその出版社は会社倒産の憂き目にあった)結果的にはまぁまぁの職業につけた。
 関係先のスーさんや渋チンは「計画的にやらないから」とか「スタートが遅い」とかいってお調子者の私にあきれるけれど、関係先もいい人が多いからラッキーだった 。
 だけど、病気のことだけは現在進行形なのでなんともいえない。

 アララ、今日のウィッキーってこれだけ? miyaさんが作った料理は、お塩を入れすぎたとかで私の大好きな空芯菜がすごくしょっぱかった。「ゴメンネ」とあやまられても、貫太郎一家だったら、ちゃぶ台をひっくり返していたところ。だけど、miyaさんに出ていかれたら (本人は家出することはないと言っている)、健康な食事にありつけないのでじっと我慢した。
 
 無理やり見つけるウィッキー3つ目。城島選手がマリナーズに入ってよかった。ピッチャーとのコミュニケーションをよくするために、長谷川選手と再契約してくれることを希望している。
 
 わーん、今日はウィッキーが少ない。こんな日もあるか。あとは……仕事が一段落したから早く寝よう。 
 
白黒にゃんこは事務所の窓枠まで降りてきてエサを食べるようになったけれど、まだびくついてます。ノラ猫はここまで用心深くないと生きていけないのかとちょっぴり同情します。
 ところで、今日の招き猫は、中央の透明な形のものです。右の車のおもちゃは現在の仕事を始めた28歳の頃、偶然おもしろいおじい様と知り合い、もらいました。当時、○核予防会理事長さんだったのに、お医者さんではないという不思議な先生で、知り合ってまもなく亡くなりました。好きな仕事ならば一生続けられるよと励ましてくださったからよく覚えています。
 


  11月23日
(水)
miyaさんの昔話<7> 罫線がつながらないゾ

 本日救急外来に行ったら、S先生がわざわざ病棟からおりてきてG-CSF(白血球を上げる皮下注射)を打ってくださった。でも、なんとなく廊下を去っていく姿がお疲れ気味。先生、ガンバレ。

 さて、本来ならば感染がおそろしい時期なのでマスクをしておとなしくしていなければいけないのだが、注射を打って安心し、1時間ばかりのウォーキングをしてから、近所のバザーへ。

 ほぼ新品のバイキンマンの人形(写真)を10円で購入し、勤労感謝の日にあやかって家庭フランス料理を食べてから戻ってきた。

 ■miyaさんの昔話<7> 罫線がつながらないゾ
 かれこれ10数年前、某○電公社が出資した会社での話。miyaさんは数ヵ月だけ手伝いに行っていた。

 エクセルを使って仕事の進行表を作っていた部署の責任者Tさんが「お、できた、できたぞ〜」と喜んでいる。
 「あれ、罫線がつながらねぇぞ、どうしてだ。バグじゃないのか。すぐMSに電話しろ。うちでバグ発見したから、すぐ直すように連絡しろ」と威張り声。

 「どうしたんですかぁ」とmiyaさんが後ろから画面をのぞき込むと、セル1個ずつにハイフンを入れていた。セルにハイフンを入れてもハイフンが伸びるはずはない。おまけに進行表などエクセルで作る必然性は全くない。
 miyaさんは「ご自分で電話されたほうが話が早いっすよ」と、即座にその場を離れた。

 それにしても、エクセルのセル内の文字を揃えるのに、半角全角のスペースを入り乱れて合わせている。
 それとセル内の改行をAlt+Enterキーで行えばいいのに、次のセルに入れてしまっている。
 表計算をするのに、関数を使わずに計算機で計算しながら結果をセルに入力している。一体表計算ソフトとは何なのだ。

 「これはどことどこの合計ですか?」
 「こことここだよ」というのだが、分析ツールを使ってもセルの参照がどこにもされていないし関数も入っていないから分からない。 そういう人が企画立案するのだから、すべてが「概ね」「大体」「ほぼ」「約」「適当に」の世界になってしまう。
 「面倒だから、あんたやってよ」ともってこられ、罫線の「ここは太く」「ここは二重罫線に」などと形にこだわる。「いつまでに」というのと、見栄えだけはうるさくいうのに、結果についてはどうでもよさげだった。

 また、要求仕様書と仕様書(実は仕様書としての体は全くなしていないのだが)は「ホチキスは左上45度に揃えて」「ハンコを押す欄は必ず作って」「お偉いさんの押印欄は必ず左側に」「表紙も忘れないで」などとうるさかった。

 「で、この仕様書に沿っていつプログラムができる?力作の仕様書をここまで作ったのだからすぐできるだろう」と言われても、仕様書を全部作り直すのに1週間かかった。
 こういう人がたくさんいてもつぶれずにやっていけるのだから、会社っていいとこだね〜と妙な感心をしていた。ちなみにmiyaさんは生まれてこのかた、会社に勤めたことは一度もない。一度でいいからボーナスをもらうのが夢である。


  11月22日
(火)
幸福の招き猫

 その1 本日の病院報告。
 白血球は2100とさほど下がらなかったが、ノイトロジン注射を打たれスゴスゴ戻る。明日病院は休みだというのに、ノイトロジンの注射を続けて打つために、救急外来で打つというとんでもない展開になった。書けば数行という短い間に先生とのやりとりというか、せめぎあいがあり、結局は患者が敗退、先生はカンラカラカラ笑い……。悔しぃ〜〜。先生、用心深すぎるぅ〜〜。
 詳細は、いったんマジメに仕事を終えてからまとめるので夜になる予定。

 でも、戻ったら、うれしい贈り物が届いた。未波(みなみ)さんから届いた招き猫2体。未波さんの娘さんが結婚式の引き出物に用いたという、ちりめんで作った可愛いにゃんこたち。「皆様に幸福が招かれますように」とのことで、私までお福分け。そこで、この猫がたくさんの幸福を招 きますように、皆様にもお福分け。
 これって今日最高の「ウィッキー」!!!
 未波さん、ありがとうございました。

 

    きれいにラッピングされていて、こんなに可愛い。大きな画像でもサクッと見られる通信環境の方は1番上の写真をクリックしてください。

 
   

 その2 7:25病院へ到着。10番目だったが、採血は1番。でも、ショックなことに、いつも担当したくださったベテランIさんはパートだから続けて勤務はできず、6ヵ月でしばらく休みとか。このため、初めての人が担当したが、腕で失敗、手の甲で成功したものの、ポトリポトリとしか血液が落ちない。そのうちドドドと流れるようになったら、技師さんが「出た〜」と喜び、先を越された。

 ■初心に戻れ
 

 採血の結果がどうあれ、白血球を上げる皮下注射(G-CSF)をする ことになった。NYU(好中球数)が510でギリギリだったからしかたがない。いちおう今回は副作用があまり出なかったことを報告。先生は最初G-CSFをやらなくていいと言いつつ、迷っていたが、「だめ、やっぱ 、やろうといって決断した。

 yururi「(先生の)心変わりはどこで切り替わったんだろう」 
 S先生「迷ってるときは初心に戻れというのが正しい。ぼくはいつもそうなんです。この間も駐車場で迷ったんです。あれ、自分の車、どこに停めたっけって。やっぱり 、前に戻ったら分かりました。いい言葉だよね」
 G-CSFに関する攻防戦が終了し、先生が別の話題を切り出した。

 S先生「コホ。じゃ、ちょっと自慢します」
 先生は、私のCT写真を出した。左の画面から右の画面方向にサッとマウスを動かすだけで、画面が切り替わり、画像がモーフィングのようにスピーディに動いていく。今、検査をしながら撮影画面を見ているかのようだ。 (写真は了承ずみ)

 S「その画面すごいでしょ。このモニターすごいでしょ」

 y「あ、すごい!! 新しく入ったことを言いたいんですね」
 S「そうそうそう。それだけ自慢していいですか(笑)」
 まだ入ったばかりで、先生も操作するのが初めてだそうだ。
 画面には口からお腹の部分までが映し出される。スゴイ、差し歯(高校生のときに2本治療)の部分も、脇の下のお肉ぷっく らも、みんな映っている。ひゃ〜、ごまかしようがない。。自分の身体でも人体の不思議が感じられ、おもしろい。

 S「ほらほらほら。(先生、うれしそう)ずいぶんたまってますね(←さりげなくお腹の部分をさす。右の写真の下に黒々としたもの)」
 y「何これ、脂肪?」
 S「便秘、便秘」
 y「それ便? おかしいなぁ、いつもちゃんと出てるのに
 S「こわい世の中だね〜。全部分かっちゃう」
 y「先生、この間撮ったレントゲン写真はだいじょうぶですよね。(先生、うなずく) じゃ、まだ肺には出てきていない? よかった 〜。(ここで私もホッ)すごいモニター……
 S「ね、すごいモニターですよね。いくらだと思います?」

 y「100万円……EIZOだから」
 S「100万円ときいてドキッとした。本当にそれぐらいするらしいよ。ほら、いいでしょ」と言って、肺のレントゲン画像を出す。
 y「先生、いいでしょじゃなくて(笑)。肺に白いところないですよね」
 S「ほら、画面はきれいでしょ」
 y「画面はきれいですが、白いところとか出てきてないですよね」
 S「だいじょうぶ(笑)」

 先生が患者さんみんなに自慢しているのではないかときいたが、そうではないそうだ。
 自分としては1分診療の予定だったのに、ずいぶん話をしてしまった。患者としても、こうして先生の診察を受けることができるというだけで幸せ 。手術したのは右肺下葉だが、だいぶ大きくなっているので一安心。

 ところで、先生が感嘆していたのは、ディスプレイでなく、結局はその奥の医療情報システムだろう。使用されていた画像情報統合ShadeQuestは、横河電機(株)のサイトを参照。すごいなぁ。


  11月21日
(月)
無相庵さんとの出会いに感謝
 

 インターネットが素晴らしいと思うのは、いろいろな人とネットを通じて出会えることである。
 11月14日に紹介させていただいた無相庵さんにメールを差し上げたところ、リンクだけでもありがたいのに、コラムで紹介してくださった。題して「ウィッキー」。私のHPの協力感謝にmasaさんと書いてあるのは「ウィッキー」という言葉を教えてくださった方だから。masaさん、本当にありがとう……。

 私は、がんになってもあっけらかんとしていて、生と死をつきつめて考えるところまではいかなかった。手術後の数ヵ月が痛みのために一番落ち込んだが、家族や周囲のほうが心配しているので、「もし私がいなくなったら」という「もし……」のことは言わないように、考えないようにしてきた。

 それでも、末期といわれていたら、死と直面せずにはいられなかっただろう。末期で家族に余命が言われていたけれども乗り切ったという、病院仲間の患者さん2人は、信じられないくらい達観していて明るい。そして、笑顔が大事だという。形から入れば内面も笑顔の気分になるわけだが、身体がつらかったり、気分が沈んだりしている人に対して、「笑顔」というのは気が引けるなぁと思っていた。そうしたら、ウィッキーという言葉を教えていただき、これだ!とひらめき、無想庵さんのところで、笑顔もまた修業なのだと悟った。笑いには、慈しみの微笑みから、ギャハハ笑いまでいろいろあるけれど、上品で包容力のある笑いがいいなぁ。

 明日は、白血球を上げるための皮下注射を打ちに行かなくてはならない。従来だと3日間連続して注射しているが、今週は23日が休日なので病院もお休み。バンザーイ、注射が1回減る。これでOKならば、毎回注射を2日間にしてほしいのだが、そうもいかないのが病院というところ。採血するときに私は思いっきり顔をしかめているけれど、こればかりは慣れることがない。痛い、痛い、痛い。科学が進歩したといいながら、血液1滴だけで判断できないなんて全くもって遅れてる。な〜んて考えるとウィッキーどころか怒りがこみあげてくる。いけない、いけない。気を取り直してウィッキー。