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  12月10日
(土)
ルンルンの1日

 あ〜、楽しかった。今日はネットで知り合った美女おふたりと待ち合わせて、昼食後、とげ抜き地蔵から六義園へとご案内した。長期予報では曇のはずだったのに、朝から快晴。晴れ女がいたらしい。合計6.7kmブラブラ歩きながら、会話が弾み、笑いがはじけ、ウィッキー三昧だった。
 世界に100人しかいなくて、今日の幸せな人は10人だけということでも、我々4人は入れるかも。

 この人形は六義園入り口のすぐ前にあるフレーベル館で以前購入したもの。お二人のイメージに合っているので登場してもらった。
 空は青々としていて、六義園は紅葉もまだ美しく、新たな出会いには最良の日だった。


  12月9日
(金)
無相庵さん、鈴木さん、Yさん、ありがとう

 ウィッキーの言葉をご自分のコラムで紹介してくださった無相庵さん(本サイト11月21日の日記)が、鈴木章子さんの詩「ヨーイドン、癌は私の出発点」を教えてくださった。心にしみる詩に感銘を受け、無相庵さんにそれについて書いてくださいとお願いしたら、12月8日にアップされた。
 
 みなさん、ぜひたずねてください。→無相庵

 コラムだけでなく法話にも書かれているが、鈴木さんの詩は、同じ法話の部分で、
信仰と人生−正しい生き方を心にとどめて」にも掲載されている。“鈴木章子 癌告知のあとで”で検索したら、お寺の奥様であっただけに仏教のサイトに登場することが多く、真宗大谷派 円光寺でも、鈴木さんの詩が20数篇紹介されていた(探しづらいので直リンク)。私は、最初に教えていただいた「ヨーイドン、癌は私の出発点」の詩が好きだ。本は「癌告知のあとで−なんでもないことが、こんなにうれしい」探求社840円。 

 ■昨夕 Yさんへお見舞いに行った
 昨日の夕方、入院しているYさん(言葉あれこれ3)を訪ね、相馬先生のプリントや、彼女について書いたプリントをもっていった。相馬先生の膵臓がんは難治がんといわれるが、彼女のがんはさらに厳しく、日本でも2年以上生存する例がほとんどないのだとか。だから、転勤していった先生に「学術的にも勉強させていただき、医学についてやりがいを感じた」と礼をいわれたそうだ。彼女がこのまま記録をのばし続けてくれることを願っている。

 彼女と話をしているときに、看護師さんがお茶のサービスをしにきた。彼女はすかさず「わ〜、申し訳ないです。ありがとうございます」と明るく礼を言った。
 FumiさんがYさんの放射線治療にふれてくださったプリントも持参したところ、「ガンバル人の姿って勇気をもらえるよね」と声が弾んだ。

 病状をきくとMSコンチンが効かなくなり、新しい痛み止めが合わなくて昨日は2回吐いたそうで、目の下にはクマができているのに、話す表情は明るい。「どこががん患者なのっていわれる」のも明るい話し声をきいていれば納得。ピンクのパジャマも若々しくかわいらしい。

 彼女は平成に入ってからたった1台で軽トラックの運送業を始め、いま16台にもなったが、がんになって1年目に会社を娘さんに任せた。私は会社の名刺をもらっていたが、昨日まで勤務先、もしくはパートで働いているのかと思っていた。

 “Yさん”でなく、お気に入りのニックネームに変えていいですよというと、「私の生きてきた証だから」と会社名にちなんだものをあげてくれたが、でもそれだとすぐ分かっちゃうねということで、次回お見舞いに行くまでに考えてもらうことにした。

 「ボランティアで目の不自由な人を車で病院などへ連れていくことをしていた。花が咲いているよといっても、色の説明など難しい。それで、車を止めて、木の一番下の枝をさわらせて花の香りをかいでもらい、感覚をつかんでもらうようにした。
 小川のせせらぎというのも説明だけでは分かりにくい。小川のそばに連れていって耳をすまし、こういうのがせせらぎというんだよと説明した。
 寄席にみんなを連れていったとき、私の肩に目の不自由な人が手をのせて、その人の肩に別の人が手をのせてというように列になって歩いたけれど、みんなが喜んで、手を合わせて感謝してくれる。そんな必要全然ないんだよ〜といった。
 私の活動を見ていて、自分にはとてもできないという人がいるけれど、なんでそう思うのならばやらないのだろう。やろうとしないのだろう」

 なぜボランティアの話になったかというと、彼女が私に対して「患者さんの話を聞き書きするってすごくいいボランティアしてるね」ってほめてくれたことがきっかけになった。
 「え、そう?」
 「そうだよ、すごくいいことだよ」 
 この言葉をいつも励みにしていくつもり。
 写真のケロリン堂のカエルをベッドの脇にぶら下げてもらおうとお見舞いにもっていったら、「元気にカエルからね」って喜んでくれた。ハッピーウィッキー!!


  12月8日
(木)
miyaさんの昔話<10>札幌時代
 
 

 ■miyaさんの昔話<9>札幌時代
 昨日の相馬先生の話で思い出したmiyaさんの札幌在住の話。
 そういえば、札幌のホテルにも仕事で行ってたんだよ。仕事で行ったのは1月の末なんだけどね。いや〜、寒かった。
 なぜ北海道に、日ごろあまりやらないハコ(一定の場所で仕事をすること)で行ったかというと、ギャラが破格で1年ほどするとだいぶお金がたまるので、ペンションでもやろうか、バンドなんかやってるより実業だよ、ペンションだ〜。

 当時バンド仲間ではスキーに凝っていた。先輩など仕事がないと週に5日ぐらいスキーに行っている。そういう人たちの後押しもあって、「ぜひ成功してくれ」といわれ、札幌に出稼ぎに行った。

 仕事先のホテルの人たちと世間話をしているとき、「なぜ札幌なんかにきたの?」ときかれた。かくかくしかじかで、大雪山の近くでスキーペンションでも開こうと思ってと答えると、ァッファッファッファ〜と全員声を揃えて笑い転げる。
 「なんかおかしい?」
 「旅館業のプロが教えてあげましょう。まず土地は安いので問題ありません。
 しかし、土地の安い所は当然のことながら極めて辺鄙な土地柄、電気等のインフラは全くありません。
 燃料は灯油でいいとしても、暖房器を駆動する電気はありません。灯油を運んでくるのにタンクローリーが必要で、特に厳冬期は、除雪をしなければ運べないので経費がうんとかかります。
 ところで、一人でやるの?」
 「先輩とか仲間もいるけど」
 「それは趣味の人たちでしょう?」
 「当然です」とmiyaさん。

 「客の送り迎えはどうするの。冬は大雪山近辺から北美瑛駅まで車で4時間ぐらいかかるよ。冬期通行止めのところも多いし、除雪しながら行くんだよ。
 それはいいとしても、よしんば客が迎えの車に乗れる4〜6人来たとしよう。食事つきで相場が9000円ぐらい。平日は全く客が来ません。すると月に30人未満の客しか来ない。仮に手伝い4人使って給料払う、4人分の宿泊設備も造らなければならない。シーツとかの乾燥室が要るよ。それは灯油でガンガン乾燥させなければならないよ。朝除雪しながらスキー場に送っていくんだよ。朝帰りたいという人も同時に出てくるよ。車2台要るよね。
 北海道は建物維持費も高いよ。ハイ、計算してみようね。
 今借りてる部屋で水道代と燃料代はいくらかかる?」
 「1部屋で3万2000円……」
 「そうすると建物全体でどれぐらいかかるかな。スキーシーズン終わったらどうする?誰も人はこないよ。候補地は他にペンションとかあるロケーションなの?」
 「何もないです」
 「それはビジネスとして不可能だから何もないのです」
 というわけで、miyaさんは速攻で夢をあきらめた。バンドマンは変わり身が早い。バンドマンが始める商売はこのように甘い見通しだから、大体はうまくいかない。

 ■札幌に行く
 さて、札幌に行った当初(1月末)の話に戻る。
 冷蔵庫など家財道具を買おうと思ったら、「あんた、ばかだね〜、まず先にストーブ買わなきゃ。食品なんかは窓と窓(向こうは二重窓らしい)の間に置いておけばいいんだよ。冷蔵庫の方が中の温度は高いんだよ」。
 豊平橋を渡って旧遊郭風(たぶん)だろうというような造りの通り。なぜそこに決めたかというと、すぐそこに公設市場があったからだ。市場大好き人間としてはぜひそこに住みたかったそう。ちなみに1階は電気屋。とりあえず石油ストーブ一式を買いに行って煙突をつけてもらい、灯油を入れると、暖かくなったが暖気が全部上に行ってしまう。

 「なにか、こう足元が寒いんですが」
 「なんでサーキュレータも買ってこないの、常識だよ」
 「なんですか、それ」
 「暖気を下に吹き出すファンだよ」
 「はあ」というわけで下の電気屋へ行って購入してきた。「いや〜、極楽極楽」

 「ところで、風呂はどうなってるの?」ときかれたので、「風呂はプロパンです」と答える。
 「不安だね〜、ちょっと見せてね」
 「湯船大きくていいでしょ。タイル貼りで」
 「あんた、本当にバカだね。道外から来た人はだめだね。こんなんじゃ、入っているうちに冷めちゃうよ。凍る寸前の水を入れて沸かすんだから、浴槽がでかいといつ沸くか分かんないよ、プロパン高いよ。灯油の釜にしてもらいなよ」

 灯油の釜にしてもらい、水をたっぷり張って沸かしたら沸くのに2時間以上かかった。
 それで、浴槽に入り、タイルによりかかっていたら、背中の方からタイルを伝わって外の寒さがジンジンと伝わってくる。
 「いいよ。すぐ春になるよ」と言ったら、「北海道は5月まで暖かくなりません」といわれてこけた。ちなみに、水道代と灯油代はたっぷりかかった。

 札幌には約半年いた。公設市場に毎日いそいそと出かけ、やれホタテだのツブ貝を夕方楽しみに買って調理をしてから雪の中、仕事に出かけていた。仕事を終えると一目散に帰宅し、一杯やるのを楽しみにしていた。「北海道は素材がいいねぇ。特に魚はいいねぇ」
 ただし、近所の公設市場内の店では冬、レンコンが入手できず、「タケノコの水煮じゃ駄目なの」と八百屋さんにいわれ、「まあいいや」とレンコンはあきらめた。レンコンが大好きなのである。

 レンコンだけではなく北海道では真鯛がとれないことも分かった。ホテルの結婚式では鯛を出すのに、明石から取り寄せるので千歳空港まで取りに行っていた。
(「変ねぇ、青森陸奥湾に鯛はあるはずなのに」とyururiつっこみ)

 ホテルの結婚式では、“お頭付きの鯛の刺身”はテーブルに置くなと指令が出ていた。 
 「ちゃんとお盆の上でサービスして取り分け、すぐに戻ってくるんだぞ。また明石から取るのは大変なんだから(←半身ずつ使うので鯛2匹で4盛り使える)。テーブルに置くとすぐに箸で目をつつく奴が必ずいるからな(←そうすると午後の部で使えない)。おまえ、目つつかれたら明石まで自費で買いに行くんだぞ(笑)」とボーイが念を押されていた。
 (子供時代のyururiはお魚の目をつつくタイプだった。レストランで出るパセリもバラバラにして残しておく。2度と使えないから)

 ホテルの人たちと顔なじみになり、調理場に遊びに行っては「どんなものが入るの」「何作っているの」と好奇心旺盛にきいていた時に、キッチンの外で打合せしている会話を耳にはさんだものである。

 ■あやうくまともな仕事につく話
 話は続く。
 ようやく少し暖かくなってきた。たまにはススキノのジャズ喫茶でも行ってくるか。昭和55年5月5日のことだった。なぜこの日を覚えていたか。近所の郵便局で看板を立て、連番の消印を押す会をしていたから。

 ホテルでの演奏の仕事は夜8時から10時半位までで終わる。昼間はすることがない。11時前にジャズ喫茶でも行こうと歩いていたら、「にいちゃん、にいちゃん」と声をかけられ、「にいちゃんじゃないけどおれのこと?」ときくと、「そうだよ、いい若い者が昼間何をプラプラしてるんだよ。いまごろの時間、プラプラしたら仕事なんかしてないんだろ」
 「まあ、一応は夜にしているんだけど」
 「夜の仕事じゃどうせろくなもんじゃないだろう。世間に顔向けできる仕事なのか」といかにもあやしいあんちゃん。

 「あんただって人のこと言えた義理ないじゃん。そんな格好でプラプラして」
 「そんなことはないよ。おれは仕事で人材確保の仕事を昼間からしているんだから。プラプラしてるんなら、おれの紹介する仕事しない?」

 ジャズ喫茶に行く予定があったのだが、おもしろそうだから立ち話。
 「で、仕事って何。暴力団の構成員とか使いっパシリとか危ないのは駄目だよ」
 「劇場の仕事だよ」
 「札幌に劇場なんてないじゃん」
 「すぐ先に行くといっぱい劇場があるんだよ」
 「劇場で何するの」
 「大道具というか小道具というか道具関係だよ」
 「道具関係なんてやったことないよ」
 「簡単なんだから。それに全国を回れるよ」
 「劇場って現地音響とか現地照明頼めばいいじゃない」」
 「いやそうじゃない。座付きの専属よ」
 「ズバリ何するの」
 「布団の上げ下ろし」
 「なんで劇場で布団の上げ下ろしするの、劇場なんか泊まれないでしょ」

 噛み合わないトンチンカンな会話が繰り返され、結局、ストリップ劇場で布団を敷く役ということが分かった。
 「女の子にいっぱい囲まれて幸せだよ」
 ストリップ劇場の布団敷きはまっとうな仕事なのかぁと思ったが、「私は事情があって、札幌を離れられないんですよ」といって丁重にお断りした。

 夜、仲間に話をしたら、「いい話じゃないか、おれが20代そこそこだったら、日本中を旅して転々と場末を回って、いい小説が書けるね、場末評論家にもなれるな」。
「そんな才覚があったらバンドマンやってねぇよ」
「十分おれたちも場末回ってるよ」

 
 実は今日の招き猫は裏表があり、 表には「また来てネコ」、裏には「安全祈願」と書いてある。バンドマンは個人差はあるが、裏表がない(miyaさん曰く「おバカだから」)ということなので、本日のネコはこれに決定した。
 今日はここだけでウィッキー5個位いくと思うのだけど。話をきいていた私はウィッキーを通り過ぎてギャハハだった。

  12月7日
(水)
相馬先生

  野菜の専門家相馬暁さんががんで亡くなったことは知っていたが、病名も、いつ逝去されたのかも分からなかった。相馬さんの書いた本は「健康・旬を食べる」「野菜学入門」の2冊もっている。野菜の本は数あるけれど、ユーモアいっぱい、それでいて野菜の知識が豊富に得られる本である。
 道内ではマスコミに多く登場する有名人らしいが、農業試験場場長だった時代に一度だけ講演をきいたことがある。

 クスクスからゲラゲラまで幅広く笑いをとって、本当に楽しい方だった。後述する随筆の中で「昔から植木等のスーダラ節が大好きで、東京の仲間たちから北海道のほら吹き男爵と呼ばれた時代もある」と書かれていたが、まさにそういう感じ。北海道の特産であるジャガイモの「男爵」と関連づけているのも愉快だ。

 昨夜は偶然に相馬先生が書かれた北海道新聞 に掲載された随筆「相馬暁のがんと向き合う」に行き着いた。

  2004年1月21日から1年間にわたって書かれたもので、一晩で読んでしまった。知るのが遅すぎたが、患者及びその家族にはぜひ見ていただきたい内容である。連載ページに掲載されている中で北海道新聞が抜粋したものがコチラに掲載されている。(ともにトップページからは探しにくいので、そこだけ今回リンク)。

 読む人それぞれだろうが、左側に感銘を受けた言葉を引用し、右側にその感想を書いた。

相馬先生の言葉(北海道新聞より)

 

左の文章に対応したyururiの感想


◇農業技術者として、何時も若い人たちに言ってきたことは、「どんなに素晴らしい技術を開発しても、相手に、農家に分かってもらい、利用してもらって、初めて価値がある。先端技術と自慢する前に、相手に伝える技術(話し方)が大切だよ」
<3.心を伝えることは… 04/02/04>

 

●良い商品なのに売れないと嘆く人がいる。知らす努力をしないと売れない。
 ここで再びちゃしば先生登場!!
 ちゃしば先生も放射線治療のよさを知ってもらうために「患者とネットでのおつきあい」をしてくださっている。どの世界でも同じだと一人でうなずいてしまった。

 

 

 

◇人生なんて挫折の連続、卒業後の社会生活で、挫折し、敗北し、絶望することが多々あるだろう。その時、ゼロからやり直す勇気を持ち、自分はこうありたいと思い続ける限りいつかそうなることを、最後まで希望を捨てずに前へ歩くことが、実りある人生をつくり出すことを、教えたいと考えた。
<5 この生きざまを通して・・・04/02/15>

 

●ある人が3年後、5年後、10年後の自分を思い描きながら、人生の設計図を考えるといっていた。その時点で思い通りにいかなかったら、なぜうまくいかなかったか、軌道 修正をするそうだ。
 野菜一筋の人が「人生なんて挫折の連続」と言っていることに勇気づけられた。最大の挫折が「ガ〜ン」だったけれど、手術後、2度目の人生なのだと頑張ろうと思った気持ちがもう惰性の日々に戻っている。イケナイ、イケナイ。

 

 

 

◇私は、文章でも言葉の遊びや心の遊びを入れたい人間だ。
 他者に対するいたわり、思いやり、共鳴する心、人間って本当に素晴らしいと感謝している。
 <8.人間って素晴らしい  04/03/03>

 

●私はここが大好き。お店でも何でもゆとりや遊びの空間があるのは、人をホッとさせる。本当は食器だって白にしたいし、自分のカラーは無色透明みたいな人を目指しているのに、食器は統一感がないし、性格カラーは日和見満艦飾。でも、精一杯、ウィッキーを探して遊んでいる。

 

 

 

◇一日の終わりに自然が、太陽がシー・ユー・アゲイン(また会う日まで)と投げかける挨拶(あいさつ)のように、私も最期に笑顔とともに家族に、仲間たちに「シー・ユー・アゲイン」と語りたい。

◇先日、ある方からいただいた小冊子に「死は決して人生の終着駅ではない。信じる者同士には永遠の別れはなく、シー・ユー・アゲイン(また会う日を期して)である」とあった。
<9.シー・ユー・アゲイン 04/03/10)>

 

●最期の言葉は「ありがとう」だなと思っていたけれど、「シー・ユー・アゲイン」もいい!! でも、最期には朦朧として英語なんて出てこないかもしれない。「アイル・ビー・バック」じゃターミネーターだ。
 忘れられるのがこわいという人もいるけれど、大事な人が覚えていてくれれば私はそれでいいし、忘れられてもそれだけの人だったのだと思っている。仲良しの人には「またね」がいいかな。
 相馬先生の文章では、このすぐ後に出てくる奥様とのやりとりが夫婦の情愛が伺えしゃれている。それでいて笑える。

   

 

◇私も雨となり、風となり、夕日となって、娘たちを見守り続けたい。
 ただ一つ言えることは、人の気持ち、思いが病む者の心を癒やし、生きる力を高めていることだけは、確かなものだと思う。
<10.患者の立場から 04/03/24>

 

●病気になると、いろいろな人の支えがあって今日があるのだということを痛感する。これをバリバリ元気なときに悟っていたら、もっと違う人生が歩めたかもしれない。

   

 

◇「人はがんでは死なない。希望を失い、生きる気力を無くした時に死を迎える。がんは再発したが、私は最後まで希望を捨てない。また会おう」
<11.乗り遅れてください(2004/07/14>

 

●これは全く同感。粘って粘って粘り抜いて主治医にほめられた人が退院後生きる目標を失ったようなことを言っていた。それからまもなく亡くなってしまったが、どんなに厳しい状況でも生きる希望だけは失わないでほしかった。

 

 

 

◇むしろ順風満帆、何も無く、平穏無事な人生を終えるよりも、波瀾(はらん)万丈の人生の方がよっぽど良いではないか。そのためにもゼロからやり直す勇気だけは持ってほしい。勇気を持つ限り、人は幾つになっても青春ただ中、若者である。それが希望を失うとき、疑惑とともに老い朽ちる。

◇人生って素晴らしいものだ。生きているって、それだけで燦々(さんさん)と輝いているではないか。人生って投げやりに過ごすには価値がありすぎる。この生きていることの素晴らしさを知ってほしい。
<12.はぐれ蟻のようだが(2004/07/21>

 

●私も波瀾万丈の人生の方がよいと若いころは考えていたが、意外に地道に歩んできた。そのわりにノー天気だったから、団塊の世代が貯蓄が多いといわれているのにキリギリス状態なのが笑える。miyaさんは、はぐれキリギリスだから、輪をかけてキリギリスである。
 と書いたら、miyaさんが「フレデリック(5匹の野ネズミ)」という童話では、ためることだけがすべてではないといっているよと突っ込んだ。今朝NHK「老後都心に住む」というテーマで放送しているさわりだけ見たが、「一軒家のローンを払い終わった後、都心に出てくるならば、最初から都心にマンションを借りている方がよほどいいのに」とmiyaさん。ところで、放送に出ていた新百合ヶ丘って都心???

 

 

 

◇私も千の風になり、万の雨粒になり、億の光粒子になって、娘を妻を覆い、稲妻や突風から守ってやりたいと思っている。
<16 私も千の風になり…  04/08/25>

 

●いいなぁ。亡くなった人が風になって彼女を見守り、恋人が風を感じるというシーンは韓国映画「僕の彼女を紹介します」にもあった。私は雲がいいなぁと言ったら、miyaさんは「うーん、雲は流れていくけれど、風も流れていっちゃうね〜。私はアマガエル(←小さい可愛いカエル)になって水たまりの隅でyururiさんが食べ過ぎないかどうか見守っています」

 

 

 

◇人の世は決して公平なものではない。運不運がありすぎ、善き人が幸せになるとも限らない。まして哀れみ、同情などで人は救われないし、幸福にもなれない。自他のためできることは、ただただ祈ること。それ以外、人には何もできない。

◇無力な自己を知った上で、ただ祈る。宇宙律とも言うべき絶対律に、祈りが届く、届かぬは知ったことでなく、祈ることだけがちっぽけな自分にできること。<17 ただただ祈るだけ… 04/09/01>

 

●祈ることはいいこと。でも、その祈りを他人に押しつけないでほしい。宗教、健康食品等々、信じたものは自分だけで信じていてほしい。

 祈ることは神様の耳元で必死にお願いすることですという文を以前見たことがある。

   

 

◇ぶどうの果皮と果肉の間の果汁を味わうように、地域のワインを楽しむように、必然の死を必然として受け入れる心の余裕を、ポケットの片隅に用意しておきたいと思っている 。
<18 ポケットの片隅に  04/09/08>

 

●心の余裕をポケットの片隅という表現が気に入った。そして、このことを表現するのにブドウが用いられたところがおしゃれである。
 

   

 

◇今、食事の前に「戴(いただ)きます」、食後に「ご馳走(ちそう)さま」と手を合わせている家庭はどれほど、残っているだろう。
 
◇病と向き合うようになり、命の輝きに気づき、その貴さを実感している。病のおかげで人生が一段と豊かになったことは確かだ 。
<19 命の輝きに気づき… 04/09/15>

 

●ハ〜イ、我が家では、ちゃんとこの言葉をいっています。ただし「いただきマンモース」とかふざけたりするけれど。
 
●病のおかげで、という心境にはなかなかなれない。達観するには50代でもまだ若すぎる。でも、新たな友人ができたことだけはよかった。プラスマイナスで点数を差し引きしていけば、やはり「いつ、どうなるか分からない不安がつきまとう」分だけマイナス点の方が大きいかな。

 ところで、キリギリスのところで、「フレデリック(5匹の野ねずみ)」(レオ・レオーニ作)の話が出てきて何それ?
 miyaさんは20代のころ読んだそうだ。早速検索したら、いろいろ出てきて、「2匹の野ねずみもあるよ」といったら、「ぐりとぐらでしょ」といわれ、ヒェ〜とのけぞった。私はどちらも初めて聞いた。
 フレデリックは、ちょっと変わった野ねずみで、仲間が冬に備えてせっせと働いているときに、フレデリックだけは太陽の光や色、言葉を集めていて、さて冬になったときにどうするかという話。
 
 雑学の天才だとひそかに感心していたが、絵本まで詳しいとは思わなかった。そうしたら、「雑学じゃないよ。体系立てて知っているよ。本はたくさん読んでるんだ」と反論された。私がmiyaさんより強いのは芸能人ネタだけか……ガクッ。

 レオ・レオーニの絵本シリーズは(株)好学社から発行されている。
 「ガキンチョ、いないから知らなかった」といったら、「えーっ、これは大人の読む絵本だよ。こんな本をガキンチョに読ませるのはもったいない」といわれた。
 「フレデリック」のほか、「せかい いち おおきな うち」もおもしろいそうだ。


  12月6日
(火)
miyaさんの昔話<9>イタコとフェルマー

 昨日の内容を読んだmiyaさんが、そういえばとこんな話をしてくれた。miyaさんはルナちゃん一家だって障害を抱え生きるために必死なのだし、それを取り上げるか否かのマスコミの問題でしょという。なぜそういう考えをするかの原点の話。

 ■miyaさんの昔話<9>イタコとフェルマー
 かれこれ20数年前のバンドマンの頃、陸奥横浜へどさ回りに行った。スケジュール表には横浜と書いてあったので「近くていいや、帰りに中華街でおいしいもの食べて帰ろう」と思っていた。すると、なぜか夕方4時に上野駅集合。

 miyaさん「なぜ横浜に行くのに上野なの?」
 「何いってるの、陸奥横浜だよ」
 miyaさん「陸奥横浜で中華はどうするの」
 「だから〜、陸奥横浜といってるじゃないか。中華はないんだよ。はい、寝台、寝台」
 走れ幌馬車並みに揺れるからな〜などとブツブツ言いつつ、寝台車に乗るのなら、刺身とか酒とか買わなきゃとなって、上野駅だと松坂屋地下に行き、刺身盛り合わせなど生ものとお酒を買って乗りこむ。

 「ビーター(旅=どさ回り)一筋は伊達じゃないよ。素人は乾きものだけど、プロは生ものなんだよね」「そんなこと自慢してどうする」「情けないね〜」「だから世間から、士農工商犬○○バンドといわれるんだよ」などと言いつつ(ちなみにバンドマンのランクもあり、イモ、サバ、三流、サラリーマンとなる。ずば抜けている人は「ガイキチ」と高く評価され、尊敬される。「あの人はガイキチだから」というようにいう。サラリーマンには申し訳ないが、決まったことしかやらないバンドマンは最低にランクされる。しかし、今はもうこんなことは言わない。あくまでも昔の話)

 朝早く陸奥横浜に到着。朝から帆立鍋が出たが、寝不足、二日酔いぎみにもかかわらずバクバク食べた。

 昼の部が終わると夜の部までは休憩時間になる。このときに関係者が恐山に連れていってくれた。恐山では「イタコの口寄せ」とかで死者を呼んでもらえるという。

 miyaさんは、「よし、フェルマーを呼んでもらおう。フェルマーの最終定理についてききたいことがあるから」といった。
 イタコのおばあさん「フェルマってなんじゃい。人の名前かい」
 「1600年ぐらいのフランスの人だよ」
 するとおばあさん、けなげにも呼び出しを始めた。
 「うーん、ムニャムニャ。フェルマは今、先祖の供養をしていないと非常に怒っておる、成仏できないと言っておる」
 どうもそれがお約束の文句らしい。
 「遠い国だから、力が弱いぞ……なんたらかんたら……」
 「おばあさん、それ日本語じゃんか」

 だが、途中でふと気がつき、もしかしたらこれは、故人の供養に来る人達に対して、故人を忍ぶための儀式ではないかと思い始め、「先祖の供養はちゃんとしますので」といって丁重にお金を渡した。

 案内してくれた人によると「昔、青森県には眼病の人が多く、失明する人がいたんです。そういう人たちの自然発生的な失対事業と考えてもらえばいいでしょう。ただ、目が見えなくなると他の感覚がとぎすまされてくるので、いちがいに嘘ばかりとはいえないこともあるようですが……。霊と話をするなどというのは観光事業の宣伝文句と考えてください。でも、あまりこういうことは言わないでください」
 今は眼病が多いということはないので、イタコも年寄りばかりらしい。だんだんすたれるか、新しく占い横丁みたいになるかもしれない。

 miyaさんはあのとき気の毒なことをしたので、恥知らず、世間知らずのバンドマンの所業として許していただきたいと言っている。
 したがって、「奇跡の詩人」ルナちゃんの家族についても、医療費がかかるのだから現在行っているような形で援助を受けるのも一つの手でしょうと非常に寛大である。

 ところで、フェルマーの最終定理も、(指導要項には関係なく)数学の授業で習ったというのだが、私は知らなかった。miyaさんは「もしそれを教えなかったとしたら、その先生は数学に対する熱意がなかった」という。数学の定理なんて、ピタゴラスの定理という名前しか覚えてない。トホホ。


  12月5日
(月)
NHKスペシャルを見て

 インフルエンザの予防接種をしたら、miyaさんは打ってしばらくしてから、体がだるい。子供の頃からインフルエンザの予防接種をするとこうなんだよね。小学校のときは強制的にされると3日ぐらい熱が出て学校を休むのであまり予防接種の意味がなかった。
そりゃそうだ、抗体を作るために軽いインフルエンザを起こさせるのと同じ。昨年も一昨年も予防接種をしなくても調子よかったのに、今年は風邪ひき症状になり、目が赤くだるいよ〜といい、2日も風呂に入っていない。昨日など夜の8:00に寝てしまった。

今朝も起きたのは8:00。私も注射部位はまだ腫れているが、全然風邪引き症状は出ていない。個人差があるものだと思う。

 昨夜、NHKスペシャル「脳梗塞からの再生」を見た。免疫学者・多田富雄氏の闘い。
 内容はNHKの解説を見ていただきたい。
 はじめに言葉が話せず、よだれを垂らし、ろくに食事ができない姿が映し出され、胸をつかれた。自分とおきかえて考えると、あのような状態になったら絶望し、とても生きていられない。でも、多田さんも安楽死、自殺をしたいなどと最初は考えたらしい。それから立ち直ってきたのだが、放送の最後のほうでは、すべてを超越したかのような、とても良い表情をされていた。

 多田さんがインタビュアーにきかれて、文字盤に打ち込み、パソコンの声で答える。病後のほうが「よりよく生きている」と。そんなことがありえるのかと思ったが、彼はこの4年間で不自由な体にもかかわらず、4冊の著書を出している。前向きであれば何でもできるのだということを身をもって示している。

 彼は能にも造詣が深く、原爆をテーマにした能の創作を進めていた。その過程で広島へ行く。この番組を見て最も感動したシーンは、彼が広島平和記念公園慰霊塔の前で感極まって顔をくずして泣くところだった。原爆を発明したのも、同じ科学者である。科学者として懺悔の思いでいっぱいだったのだろうか。 多田さんの科学者としての素晴らしさが伝わってきた。

 そして、門下生たちが集うパーティで、「かんぱい」の音頭をとるために、懸命に練習するところもジーンとさせられた。今、乾杯の4文字を言ってみてほしい。私たちには何の不自由なく言えることができない人がいる。歩くことも、話すことも、不自由。今、こうしてパソコンの前に座り、苦もなく打てて、おしゃべりできる、ただそれだけの当たり前のことがどんなにか幸せか。

 脳梗塞だけでも大変なのに、前立腺がんにもなって、そのつらさはいかばかりかと思う。
 でも、多田さんの前向きな姿勢は、どんな状況でも希望を失ってはいけないということを教えてくれた。

 今朝、NHKスペシャルの内容を調べるために検索をかけたら、「奇跡の詩人」が上位にきていた。脳障害児のルナちゃんを取り上げ感動を与えた番組だ。ルナちゃんが文字盤を目にもとまらぬ速さでさすのを母親が解読していくのを見て、知人はえらく感心していたが、一般人の感覚で見てオカシイと疑っていた。そのすぐ後に捏造が伝えられ、大問題になったのは私も覚えている。NHKは弁明しながらもホームページからその日の解説だけ外していて、それではよけ いに疑われるのにと思ったものだった。自分の行動に自信があれば、毅然とした態度をとらなくてはいけない。

 番組にもよい番組、ふつーの番組、悪い番組とあって、やはり売らんかな、受けをねらったものについては、視聴者の目はごまかせないようだ。

 多田さんは左手だけでパソコンを学び、体が曲がるほどに練習してもボチボチとしか文字盤を打てなかった。目にもとまらぬスピードで文字盤を指したり、打ったりするのはどう考えても無理だ。

 多田さんの番組を見て感動したことを素直に書こうと思ったら、インターネットで検索したばかりに番組制作の姿勢を考えさせられた。特に病気関連の番組づくりは難しいだろう。テレビで放映されたとたんに本が発売されたり、イベントが開催されたり、まるでタイアップしていたか、話題づくりのために秘密裏に撮影を進めていたとしか思えないこともある。中立の立場で放送できるのはNHKしかいないのだから、良い番組を作り続けてほしい。取り上げる対象となる「人」が素晴らしいと、昨夜のような作品になる。

 ■爪が・・・

 このところ爪に3本位の横筋が入っているのが気になっていたのだけど、ワ〜ン、こんなにひどくなった。左手の人差し指、中指、薬指に、右手の親指を添えて撮ってもらった。
 病気になるまではマニュキュアをしなくてもピンクの貝殻みたいにきれいな爪で自慢だったのに。ジェムザールは楽だったが、タキソテール様(現在効き目があるので敬語を使用中)は副作用も厳しく与えるようで……。睫毛も復活してほしいから、あまり長くやりたくないなぁ。といって、使える薬も少なくなっていくしなぁ。


  12月4日
(日)
ちゃしば先生を応援します!!

 Fumiさんのサイト紹介がご縁で、ちゃしば先生からメールをいただいた。ちゃしば先生は患者さんの掲示板によく書き込みをされているので、患者と同じ目線で考えてくださる先生と思っていたが、放射線治療を受けていない私にとっては「雲の上の人」であった。

 でも、ミーハーな私、昨日は舞い上がってしまい、先生のHPを訪ね、難しい放射線図解なども一生懸命見入ってしまったのだが、結局はよく分からなかった。ただ日本発の放射線技術としてすごいことができるらしい、放射線治療も刻々と進歩しているということだけは感じられた。
 よくよく考えると、ちゃしばって、茶色の柴犬をもじったのではないだろうか。私は茶柴も黒柴も含め、柴犬のけなげさ、忠実さが大好き。だから、ワンちゃんのイメージも考えてのHNだとしたらうれしい。

 先生のサイトを見ての感想いろいろ。

<放射線治療は骨や身体の他の部分へ広がった癌による痛みなどによる症状を緩和するためになされることもあります。これは姑息照射と呼ばれます>

 「姑息」という言葉は、「姑息」な手段というように、ニュアンスとしては悪い意味での間に合わせといった感じでなじめなかった。「これは姑息照射ですが」といわれるとガクッときそう。 三省堂の事典によれば、〔「姑」はしばらく、「息」はやむ意〕根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせにする・こと(さま)だって。なぜ姑という字なのか不思議だが、この字から受けるイメージがよくないなぁ。

 ちゃしば先生の放射線治療の解説は、推奨の「一般人コース」を辿っていってもやや難しいと感じたものの、先生が提唱したCutting Field IMRTを普及させるために、プロジェクトXもかくやと思われるほどの苦労をした「ちょっとした裏話」は必見だと思った。
 
 「私は、個々の患者様に対する思い入れが強すぎる傾向があります」と書いているが、そういう熱血先生に医療を変えていってもらいたいと期待する。
 余談ながら、「患者様」という言葉はどうもなじめない。先生様、学者様といわないように、患者もしくは患者さんといっても患者に違和感はないのに。だが、そのうちに、お患者様と言い出す病院があるかもしれないと思っている。

 新しい治療、療法であっても、エビデンスがないと二の足を踏む先生方が多い。先生の理論もよいと理解していても、学会などではエビデンスが少ないという意見が出るらしい。新たな療法にのぞんでくれる患者がいてこそ著効例が出てきてエビデンスになっていくわけだが、エビデンスが出てきてからというのでなく、エビデンスを作っていこうという病院、患者がいないと前には進めない。日本人はおうおうにして横並びが好きだが、それでは医療だって進歩がないのだ。突出したものに並んで横並びする。その間が短ければ短いほど進歩していく。大勢が取り組めば知恵や技術も多方面から出てくる。
 
 Cutting Field IMRTについては「通常照射の組み合わせ」であり、決して特殊治療の範疇には入らないと思うと、先生は強調されている。

 患者が殺到するような特殊治療、特殊病院でなく、さりとて超先進医療という、ちょっと先行き不透明な類のものでもなく(これが普及するのは500年先でしょうといった先生もいた)、広く有効性が認められて放射線医療者が等しく技術を身につければ、もっと幅広くどこの病院でも利用されてよい技術だといっているのである。助からない命だって、助かる可能性もある。がんと闘う場合、戦術は多いほうがよいが、スタンダードな戦術になればがんに必勝パターンができるはず。

 共感できる文章が数多くあった。

「放射線治療で実際に上記のようなこともできる」そうだが、もうまるで不思議世界の夢空間。作品は、ちゃしば先生作成。

 

<私は吉凶逆転の星を持っています(四柱推命でも・・・おっとお!)。ですから、昔からとんでもないひどい目にあった場合、それが結局は非常に幸運である場合が多いのです。>

 私もこれまで「土壇場に強い」と思いこんできたが、やはり何かに打ち込んで苦労しないと、おいそれとそんなことはいえないなぁと反省した。土壇場まで追い込まれること自体、運がよいとはいえないかもと思ってきたが、そっか〜、吉凶逆転の星といえばいいのだと悟り、目がお星様になった。がんになったけど、凶から吉へ逆転しよう。

<自分が変われば、相手も変わる・・。サイトの危機は身内から出てきました>

 いまではサイト自体がCutting Field IMRTを広く認知普及されることにつながり、理解者が増えているが、最初は大変だったとのこと。当初は周囲に理解されない「変わり者」でも、誠意をもった姿勢であれば、いつか通じる。そういう変わり者が世の中を変えてきた。自分が変われば、相手も変わる――いい言葉だ。ウットリ。

 それともう一つ。「放射線徒然草」の11月25日の言葉。

<私の理想は一歩半先を歩むことです。(略)
 この一歩半の人生の歩幅というのは、自ら道を切り開いて進んでゆくためには絶妙なところだと私は思います。>

 これもすごく共感できる。
 バブルがはじけたときに、不景気だ、売れないといって、不景気が通り過ぎるまでは何をやってもむだと息をひそめていた企業がたぶん大多数だった。だが、一方で、今は苦しい時期でも一歩先行くことを研究・実践していれば、再び景気が戻ってみんなが同じスタートラインに立ったときに、苦しい時期に培ったノウハウにより何歩も先を歩むことができると考えて歩みを止めなかった企業もある。企業というより、経営者の考え方の違いである。
 先生の一歩半も、「人」として、どう生きるかのポリシーだろう。


  12月3日
(土)
がんをおふざけの対象にするな
 今日は週末だし、楽しく愉快なmiyaさんの思い出話を掲載しようと思っていたのに、インフルエンザ の予防接種に行って、不愉快な記事を見てしまいました。それで、怒って書いてしまったのですが、共感する人にも、後からこのお人形を見てなごんでもらおうと思いました。
 私は招き猫とカエル(←かわいいのに限定)と集めていますが、福招きとしては、フクロウを集めている人がいますね。ペンギンもかわいい。これは弟からのクリスマスプレゼントです。毎年かわいいのを選んでくれます。汚れないように袋に入れて保管していたのを撮影のため袋から出したから、まだ真っ白。

 たんぽぽさんから12月1日にきたメールにこんなことが書かれていた。
 <今週号のアエラのアンケート記事に「続理想の告知、誰からがん告知を受けたいか?」というのがありました。聖路加の日野原先生とか、瀬戸内寂聴とか、中にはホリエモンとか、いろいろ。
でも、なんか不愉快な記事だなと、感じました。患者にしてみれば、そんな、軽いものではないよ〜って。いかにして、良い医師とめぐり合うかで運命が相当、左右されるのですから、こんな、「感覚的な」ことじゃないぞ!!と思いました >

 今朝インフルエンザ予防注射を打ちに、近くのクリニックへ行ったら、76〜77ページにアンケート結果が掲載されていた。これは朝日新聞社AERA編集部が楽天(株)infoseekの協力で運営している「アエラ・サポーターズ・クラブ」のメンバーから募ったもの。たかだか500人程度の意見を仰々しく掲載している。

 糖尿病の告知を誰からされたいですか、高血圧症の告知を誰からされたいですかといったアンケートをするだろうか。このおふざけアンケートは、「告知=あんたは死ぬかもしれない病気になったんだよ」という意味を込めている。

 では、調べてほしい。このアンケートの発案者、ライター、アンケート回答者の中に、本人自身ががん患者、もしくは家族にがん患者がいるかどうかを。
 身内にいれば、こんなふざけたアンケートはできないはずだ。AELAは今までにもがんのことをよく取り上げ、たとえその内容がつっこみ不足の部分があったとしても評価はしていた。でも、今回のアンケートはがん患者をぶち切れさせる。

 1位が日野原先生だったということが分かったとして何が言いたい?がん患者ならば誰でも知っている先生の名前なんか出てこないじゃないか。ホリエモン?シンジョー?ふざけるな。たらればの希望はアンケートとはいえない。なんだか情けなくなった。

 がんをおふざけの対象にするな。
 大事なことをおふざけの対象にするということが、すべての記事において「センセーションを起こせばいい」「受ければいい」という体質につながり、捏造、でっちあげにつながる。トップが口先だけ言っていても上から下までそういう体質なのだということがよく分かった。

 若いとき、「朝日ジャーナル」はずっと読んでいて、末期症状になったのはよくわかった。報道機関は、自分たちの体質が末期症状であるという告知を誰から受けたいと考えているのだろう。読者じゃないことは確かだが。
 たぶんこういうふうに書くと、編集部では「もう!、シャレがわからないやつがいて文句をいう。困るね。シャレだよ、シャレ」というんだろうな。


  12月2日
(金)
○年生きるという目標をもつこと

 昨日、Yさん(言葉あれこれで紹介)から、9月2日に病院で知り合って以来、初めての電話があった。薬が効かなくなったので新しい薬の副作用をみるために近々入院するという。
 NHK「生活ほっとモーニング」で放射線治療が紹介されたと話したところ、彼女は放射線治療をしている間(約3ヵ月間)船酔い状態になり、水も飲めなくなったと教えてくれた。胃液が戻り、体重も減って、死んじゃうのかと思ったほどだったそうだ。 

 彼女がいうには、副作用の出ない人、強く出る人の割合は半々だが、残念ながら強く出てしまったので、その後食事をするときにも、胃液が戻ってくるような臭いが悪夢のように思い出され、みそ汁のみその臭いを受け付けなくなってしまった。それで、好きなものだけ食べるようにしたが、それでも精神的な苦痛は残ったと話してくれた。

 でも、余命数ヵ月の彼女が生き延びたのも、抗がん剤治療に加えて放射線治療の恩恵が大きかっただろう。肺がんが転移し喉に照射していた人は飲み込むときに痛く、食物の通りをよくするために、「まずい」と顔をしかめつつ緑色の薬を飲んでいたし、部位によってはすごくつらい副作用を体験する人もいる。それでも、がんが消えたという例は放射線治療に多いようである。

 Fumiさんの言葉を借りれば、「機能を温存するため、その時期を我慢が出来なくて辛いと思うか?これを我慢すれば、機能が温存できるから頑張ろうと思うか? 人それぞれ……、どれが一番いいかは本人が決定すること」である。
 
 そういえば、Fumiさんが出演した番組について、NHKや日本放射線腫瘍学会へ問い合わせの反響があるのはよいことだが、Fumiさんに病院や治療法などの相談、ダビング依頼などをするのは全く筋違いと感じる。人の生死に関わる病気の相談だから協力してくれて当然、あるいは今、身内に患者がいるから必死なのかもしれないが、Fumiさんだって患者だということを忘れてはいけない。
 Fumiさんにも問い合わせがかなりいくだろうとは予想したが、NHKも「Fumiさんご本人も患者なので、問い合わせはご遠慮ください」とひと言の配慮を示してもよかった。

 自分だけと思って問い合わせをしても、そういう人が何人もいれば対応するだけで疲れてしまう。患者やその家族は、治療法を知りたいならば医療機関や学会にすべきだし、Fumiさんは放送で必要なことはきちんと話をしていた。それ以上何を望むのだろう。
 健常人でさえ、ひっきりなしの電話に応対するのは心身ともに疲れる。時間も相手の都合もわきまえない「〜してくれ病」の人は日本人に多い。

 Fumiさんは自分の体験を踏まえてブログを書いているのであり、最初から読めばFumiさんがどんな治療を受けたかは分かる。患者や家族だって自分から学んでいこうという姿勢がなければ、なんでも人に問い合わせようという姿勢では、がん治療なんて変わっていかない。
 
 そうそう、それでYさんが話してくれた「素敵な思い」(掲載了承ずみ)。
 
 ■Yさんの話(余命数ヵ月といわれたが、2年以上治療中)

 痛みがあったときモルヒネを1年間飲んでいて楽だったが、モルヒネを抜く1週間はすごくつらかった。
 (末期治療で)モルヒネを強くしていくと幻覚症状が出てくる。モルヒネに加えて睡眠薬を使うから眠ったまま治療するわけだが、目がさめずに亡くなってしまう人もいる。だから、この睡眠薬を使い始めたら目がさめないかもしれないと悟ると「ありがとう」という人がいる。もちろん、目がさめる人もいるわけだが、どうなるかは患者にも分からない。「これで眠ってしまったら、目がさめません」といわれるのもこわい……。
 余命があと2ヵ月ですといわれたとき、まさかと思っても家族はそのつもりになって覚悟する。患者はどうなのだろう。

k病院のイチョウの大木。院長先生の本にも登場する、K病院を見守る主のような存在。この日も午後にウォーキングをしておこうと外出。

 数ヵ月の余命ならば患者には隠しておいたほうが希望をもてると思うが、私は余命を告げられても、あわてることも騒ぐこともなく、こわくもなく、そんなものなのかなと覚悟した。

 でも、余命といわれた2ヵ月を過ぎたときには、これからはおまけの人生を生きているのだから、いつそのときがきてもいいと思った。
 
 この間、主治医から「あなたの状態で2年以上生きた人はいないんですよ」といわれたとき、「そうなんですか」と答えたものの、生きていること自体が奇跡のようにいわれ、初めて絶望感に近い思いを味わった。
 先生が代わることになり、挨拶に行ったとき、先生がおっしゃった。

 「これだけはいっておきます。2年以上生きたということは次は5年生きられるかもしれない、8年生きられるかもしれない。目標をもっていくんですよ」
 闘病してもどうせ最後は……などとと思い、新しい洋服などは買わなかったが、初めて洋服を買おう、次の目標に向けて頑張ろうという気になった。

 主治医は、表情を変えずにいつも淡々と話す人だったので、当初は、私の気持ちなんて分かってもらえないのだと思うこともあった。でも、これまでの受け答えを振り返ったときに、いかに患者を甘やかさずに一生懸命見守ってくれていたかが分かり、あらためて感謝の思いと親近感をもつことができた。深〜く感謝している。感謝しても感謝しても感謝しきれない。
 私もガンバルからyururiさんもがんばってね。


  12月1日
(木)
Fumiさん出演の番組を見て
 

 NHKの「がんサポートキャンペーン」第11回は、「人にやさしい治療を目指して。放射線治療最前線」。Fumiさんが出演されるということで録画しておいたのをようやく今朝見た。Fumiさんはショートカットで若々しくとてもお肌がきれい。NHKの経済ニュースで、今朝も 銀行の現地駐在員が「ニューヨークのほうからお伝えしました」などと言い、アナウンサーはディレクターに振られるたびに「ハイ」とうなずいていたが、Fumiさんはそういう言い方はせず、とても聡明な方だと感じる。何よりも自分の体験が少しでも他の患者さんに役立てばということで、地道に患者会活動をされてきたということに敬意を表さずにはいられない。

 これは有効な情報だと思うので、私自身の覚え書きのためにも内容をかいつまんで記載する(テレビのコメントから引用した分については色を変え私の感想は【 】書きにした。

 放送は、早期肺がん(81歳と高齢男性)、口腔がん(仕事をしたいので放射線を選び、1ヵ月で改善)、乳がん(骨転移の痛みが改善、心身ともに苦痛だったのが治療によりふだんの暮らしを取り戻しつつある女性)の3人が、それぞれ放射線治療により治ったり症状が改善したりしという事例紹介から始まる。

 ◎放射線治療は、切らずに治す、痛みを和らげる治療として注目されるが、どんな効果を上げているのか。
 肺がんといわれて思い悩んでいたMさんを救ったのが家族から送られてきた放射線治療に関する資料だった。早期の肺がんの場合、体にメスを入れずに、後遺症も少ない。Mさんは手術以外の方法を見つけられるのがありがたいと考え、病院を訪ねた。
 放射線治療はK病院では年間900人。その中心となっているのが唐澤克之医師。Mさんの腫瘍は1.5cmだったが、技術の進歩によりこうした小さながんに対して放射線のピンポイント照射で治せるようになっている。
 
 【その病院というのが私の通っている駒込病院である。私のは2cmでも早期がんと言われたけれど、手術を奨められた。今はどうなのだろう。これで放射線治療を希望する患者が増えるかもしれない。でも、駒込病院はチーム医療を行っているからどんな医療を受けても安心か】

 ここで放射線医療を映像により説明。放射線を出す部分を回転することでどこからでも放射線を当てることができるという「三次元照射」。がんの位置だけでなく、形に合わせて放射線を出し、周囲の器官は傷つけない。肺がんの場合1日1回3分程度、これを5週間続けるのだが、患者に負担は少ないそうだ。三次元照射による早期肺がんの治療成績は従来の照射法に比べて抜群に向上した。
 的確に病変だけに放射線を当てるので、副作用も少なく、確実に腫瘍を治すという技術が可能になった。体にやさしく、確実に治す治療を受けたことで、Mさんの肺がんはなくなり、治療を受けて約2年無事に過ごしている。「ふつうの生活ができることはありがたい」というコメント。

 駒込病院ではがんが進行し大きくなった場合でも積極的に放射線治療に取り組んでいる。
 次の事例で紹介された口腔がんの男性(51歳)も駒込病院の患者だった。3年前に口腔がんを患い、最初は口腔外科にかかったが、手術と放射線治療の2つの治療法を示され、放射線を選んだ。手術だと5年生存率は60%、放射線治療は30%、ただし、手術の場合、機能障害が出る可能性がある。
 【どちらの選択肢もつらそう。でも声が出なくなるとか機能障害が出ることを考えれば私でも放射線を選びそうだ。この放送の人も思い悩んだ結果、放射線を選んだ。】
 「単にそこで終わるのでなく、先のことを考えると、副作用が少ないほうが暮らしやすいだろうと思った」というコメント。

 放射線科の医師と口腔外科の医師とが話し合った結果、この男性の場合、抗がん剤治療を先に行った。放射線医療と他の治療法と組み合わせることにより効果が高まるのを狙ったのである。抗がん剤治療を2ヵ月行って5分の1に縮小させ、そのうえで放射線治療で小さくなったがんを狙い撃ちにした。1回に当てる量を少なくして治療効果を最大限に引き出すことにし、50日に及ぶ放射線治療でほとんどがん細胞はなくなった。「放射線に手術や抗がん剤を組み合わせることにより完治できる可能性が広がり、QOLを高く保ったまま治療できる」と医師の力強いコメント。この男性は軽い副作用も出たが、時間が経つにつれて改善していった。
 
 【ここで診察室の様子が映し出される。おーっ、私とS先生の会話とだいぶ違うではないか。
 「お仕事をされるうえで支障はございませんか。2年以上経過していますから、同じところから出てくる確率はほとんどないといってよいと思います」などとお茶かお花の先生のように丁寧に患者様に話している。先生によっていろいろ違うのだなぁ。でも、私は主治医S先生の気 さくな対応も好き。】


 この男性は治療の翌年には仕事に復帰し、「放射線治療を施していただき、幸せです。ふつうに生活できて幸せです」と語っていた。

 ここでスタジオでの会話になる。
 患者会「かざぐるま」のFumiさんこと結城富美子さん。
・この方たちも放射線治療を受けてよかったと思う。
・足の麻痺が出て車いすの状態でしたが、緊急照射に入り、足の麻痺が回復、別に抗がん剤治療もできるようになった。
・余命2か月といわれましたが、ありがたく3年6ヵ月生きてきています。いまは患者会活動を頑張ってやっております。
・ですから、放射線はこわくないのだということをみなさんにお伝えしたい。
・放射線治療をこわがる人は被爆が不安で、治療を受けるのは最後の方法だという認識が払拭できていない。みなさん、たくさん放射線治療を受けています。

 【短い中に、自分の例で説明し(←何より患者には役立つ)、放射線はこわくない、みんなが受けていますと安心させる。さすが。】
 次に、日本放射線腫瘍学会理事の広川裕さん(夏まで順天堂大学にいたそう)。
 「とても良い例を出してくださった。(事例の2例をあげ)最近の技術の進歩を見ていただけたと思う」
 【患者だけでなく、識者を出したのはバランスとしてもよかった。先生のFumiさん発言を受けての発言もよい。装置も技術も進歩したのは、ここ10年余りのことだそうだ。】
 
◎どんながんに有効かと考えられているのか。
 放射線治療は。脳腫瘍、頭頸部がん、食道がん、肺がん、子宮頸がん、悪性りんぱ種、前立腺がんなどに有効と考えられている。
 初期のがんは放射線、また他の治療と組み合わせて治療ができる。化学放射線療法=抗がん剤+放射線などが、少し進んで時期のがんに広く組み合わせて行われているし、場合によっては手術と組み合わせるやり方などもある。
 
 【ここで、放射線治療の説明があった。私は放射線治療を受けていないのでどんなものか興味があるが、とてもよく分かる説明だった。これならば放射線治療も安心して受けられそうだ。】

 先生の説明は、「ピンポイントで放射線がかけられるが、健康な組織になるべくダメージを与えないために、分割して細かく分けて放射線治療を行うことをしている。がん細胞は死ぬが、ふつうの健康な細胞は保てる。例えば今日治療した場合、健康な細胞はすぐに健康な状態に回復するが、がん細胞は回復しにくいのでがん細胞が死んでいく」とのこと。
 また、子宮頸ガンになった場合、「妊娠、女性ホルモンの分泌に関しては影響が出ることもある」と述べていた。
 【ここまでで放射線治療の技術の進歩は、がん細胞にピンポイントで最大限の効果をあげるということがインパクトとして伝わったはず。】

◎どんな副作用の可能性があるのか。
  頭部 :脱毛、頭痛、吐き気
  喉  :のどの乾き、のみくだすときの障害
  肺   :咳、たん、息切れ
  腹部 :食欲不振、下痢、頻尿

 ここでFumiさんが補足説明。「胸椎、喉に近いところに当てているので喉のつかえがあり、食道がんになるかと大騒ぎしたことがあったが、放射線の副作用だと知って安堵した。徐々に軽減し、放射線治療が終わったらおさまってきた」
 【副作用があってもだいじょうぶという安心感を与えたのがとてもよい。】

 先生も「治療の後半に副作用が起こってくるが、治療が終わると徐々に薄らいでくる一時的な副作用である。放射線治療を受ける患者に全身が衰弱するのではないかときかれるが、そういうことは少ない」とフォローする。 

 次に「がんサポートキャンペーンの伝言板」から放射線に関する質問に答える形。ここでは私がなるほどねと思ったことだけ記録。
Q:当てる量についての質問。
A:照射できる線量は60グレイ、70グレイなどと部位ごとに決まっていて、同じ場所については限度が決められている。

Q:放射線医療について医師により判断が違うことについて。
A:放射線だけで治る場合もあるし、化学療法を併用したほうがよくなる場合もある。病状によって違う。自分の場合はどうなのかという比較の質問の仕方でよいと思う。

 先生のこうした答えの後で、Fumiさん「自分が納得できる医療を受けることが大切だと思う」とひと言。

 ◎もう一つ放射線医療として「緩和的治療」
 今度は6年前に乳がんを患った女性が登場した。この人は骨盤への転移に対して放射線をあて、緩和されたという。事例として紹介されていたのは、昭和大学横浜市北部病院だった。ここの放射線医療には年間400人が訪れるそうだ。

 骨転移の場合、放射線を当てると 骨転移の痛みを与えていた破骨細胞が減り、痛みをやわらげることができる。テレビで紹介された患者さんの場合、治療を開始して1週間ほどですぐに効果が現れ、以前のような日常生活が送れて、再び料理に手をかけられるようになった。

 【ここで、その患者さんが子供の好きなおでんを作るというシーンが出てきたのだが、おでんにミズナが入ってるのがおいしそうだと違うほうに関心がいってしまった】

 この患者さんの治療に当たった長谷川医師は「放射線は患者がよりよく生きるための大事な治療の一つ。放射線を当てていることによってよくなる、軽くなる、いい方向に向かうということが出てくる」と説明。
 もう一人、3年前に腎臓がんが再発して激痛に襲われた男性は骨転移し、余命2年といわれたが、放射線治療で痛みの緩和だけでなく、骨も回復し始めたそうだ。再発して3年余りが 過ぎ、いまは穏やかな日々を過ごしているとのこと。

 ここでFumiさん。
・痛みがなくなるだけでなく、骨が再生します。自分もその恩恵を受けたのだと実感した。うれしいことです。
・当時、エレベータの振動でも頭のてんぺんまでくるような痛みがあった。
・骨転移と麻痺が出て、その回復と疼痛緩和のために放射線治療をした。
・寝返りもうてないぐらいだったのが、痛みがとれることによってがんと前向きに闘えるという姿勢が出てきた。抗がん剤でもなんでもがんばりますという姿勢が出てくる。


 【私がFumiさんの言葉で伝えたいと思ったのはこの太字の部分。肺がんの人の多くはFumiさんを知っていてブログも毎日訪問している人が多いだろうけれど、テレビは見ていない人のためにレポートしようと思ったのは、この部分を私も伝えたかったから。】
 
 そして、先生が強力プッシュ。「骨転移で起こってくる痛みの緩和は放射線治療は得意。がんが神経を圧迫して痛みが起こるが、圧迫がとれるなどいろいろな症状の緩和に役立つ」

 アナウンサーが「痛みが和らぐことにより、その後の暮らし方の変化があったか」ときいたところ、Fumiさんは「どこにでも旅行に行ったり して、生きることに前向きになった」と答えていた。
 【症状の緩和はがん治療においてとても重要だということもここまでで分かった。】

 ◎効果のある人がいるのであれば情報がほしい。

 次に、現実に、どこで放射線治療ができるかというのが見えてこないし、放射線科はあっても、その先生が名医なのかは分からないといった問題提起になった。
 
 ここでレポーターがパネルで説明する。
 放射線科の医師は診断医と治療医と2種類ある。日本では治療医が不足している。国際的に比較すると、(2004年日本放射線腫瘍学会調べ)

放射線治療の国際比較(人口100万人当たり)
  治療施設 治療医
日本 4.7 3.1
ドイツ 2.6 7.3
アメリカ 7.4 15.6

 1人の治療医が2つ以上の施設をかけもちするということがある。日本全国で放射線医師は450人余りといわれるが、県によっては1〜2人しかいない。このことは学会の中でも問題になっている。11月26日に日本放射線腫瘍学会が開催され、このときにも放射線治療医が不足していることがパネリストなどから指摘された。パネリストは「25年遅れている」「放射線治療は特殊な治療法だと思われている」「医学部教育から見直すべきだ」「若い研修医、学生にアピールすべき」などと課題と対策をあげていた。放射線腫瘍学の講座が解決の需要な手段と考えているらしい。そこで、国や社会に積極的に働きかけていきたいと発言している人もいた。

 放射線治療を行う専門医が少ないということは、そういう人たちに出会う機会が少ないということにもなる。治療医を増やさない限り、現状はよくならない。

医科大学で放射線治療の講座の有無
ある ない
68 12

 この現状に対してどう考えればよいのかと問題を振られた広川先生は、「医学生は勉強しなければいけないことが多い。その中でどれぐらいの割合をがんの放射線治療を教えるかという基本的な問題がある。各医学部でのカリキュラムで少しずつ放射線治療の割合を広げていくようにしたい」と答えていた。

 そしてFumiさん。「研修医の方、医学生の方に放射線治療の素晴らしさを体感してもらいたいとふと思った」ふとという表現が効いている。当意即妙という感じ。

 研修医や医学生も効果が実感できればやりがいをもって取り組めるだろう。患者の声が国にも届き、厚生労働省や文部科学省なども新たな取組(内容を説明したがここでは省略)を始めようとしているとレポーターから報告。
 先生からも「放射線腫瘍学会としても医学部6年生に、放射線治療の素晴らしさを学んでもらうため、学会として教育の場を広げる努力もしている」と補足説明があった。

 ◎情報をどう入手するか。
 今、患者が放射線に関して見ることができる情報として、日本放射線腫瘍学会ホームページがある。また、NHKのがんサポートキャンペーンもそうした情報を出しているそうだ。
 Fumiさん「放射線治療に対して目からウロコで、これだけの痛さが1ヵ月照射しただけで回復できたのはうれしいことだった」 
 先生「放射線はこわいというので食わず嫌いという方がいると思うので、素晴らしさ、進歩した治療があるということがわかったと思う。自分の場合はどうだろうかということをきいてもらいたい」 
 <以上、放送の要約は終わり>

 がんサポートキャンペーンの番組は、ゲストによってずいぶん違う。今回はNHKにもすごく反響があるそうで、再放送があるかもしれない。再放送が可能ならば夜に放送してほしい。
 
 私は再発しても再発個所が分からないから、放射線を受けられない。でも、放射線治療について、こわくないし、痛みを緩和して前向きな治療に役立つということはよく分かった。NHKさん、Fumiさん、広川先生、ありがとう。

 これをまとめているときに電話が鳴った。K病院で一緒だった人からだ。彼女は放送を見ていなかったが、放射線治療について彼女のケースを話してくれた。それはまた明日。昭和のことといい、放射線のことといい、偶然が続くので驚いている。
 ギャ〜、仕事にならない。今日の夜、仕事するから仕事先の人、これを見ていたらお目こぼしを。