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「働き盛りのがん」先日TVで取り上げられたこのテーマ
番組とは関係なく「働き盛りのがん・私たちの場合」として綴ります
「働き盛りのがん」それは ”無念”の一語に尽きるのです
辛い 悲しい 痛い 苦しい・・・・・・無念
私たちの場合は "無念" ・・・それ以外の言葉は見当たりません
外来の帰りには必ず二人で食事をし買い物をする
主人の買い物の中身は・・・
職場復帰する日のためのYシャツ・ズボン・ベルト・・・
復帰出来る日の来る事を願って・・・信じて・・・
「○○○さんと一緒に居たい」
そう言ってくれた主人を私は守り通せなかった
私が今居る後悔の海は深くて暗い
でも不思議と怖くは無い
ここに居れば少しは償えるような気がして
そんなはずは無いのに・・・
出会いがあれば必ず別れが来る
生きているものは必ず何時か死ぬ
でもその日を意識して日々の生活を送ることは普通有り得ない
別れの日が来て初めて
一緒に居られる時間に限りのあることを知る
「明日のためにではなく 今を生きる事」
私たちの子供にはそう伝えるつもりです
私は今までに何回かお花見を経験していますが
ただ綺麗ねで終わっていただけでしたから
私と桜の本当の出会いは
”ここから”の中に書いた主人とふたりで歩いた
あの”桜吹雪”の公園の桜が最初だったと思っています
その次の桜は主人のはじめての入院の日の桜です
息子の運転する車の助手席に主人が座り私はその後ろに座って居ました
満開の桜並木の下を通り過ぎてもうすぐ病院という時主人と息子は確か
「桜 満開だね」
「うん 綺麗だね」
と穏やかな会話をしていたと思います
その後ろで私は
『・・・時間を止めて・・・』 『・・・時間を止めて・・・』
と心の中で叫びながら二人に気付かれないように泣いていました
私は家を出たときからずっと泣いていたのです
昨年は一人では一歩も外へは出られず
一年を通して何の記憶も有りませんから桜も同様です
でも "寄り添う桜”の写真に出会うことが出来ました
今年は娘とあの”桜吹雪の公園”に行く約束をしています
| 桜吹雪さん 4月17日 「一緒にいられれば」のはなし |
昨日公園に行って気付きました
主人はこちら側に居て 一緒に同じ桜を見ました
もう思い出が動かない絵となって迫ってくる事は無いかもしれない
いつも一緒に居られれば
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