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両親は幼いころ死去、中卒の成績はほとんど1。土工、大工見習などで働きづめの一年間、その少年、K君(17)は日記を書続けた。疲れはてた身体から血尿がでた。いま少年は医療保護をうけ、久留米市第一病院に腎臓炎で入院中。
「もうじき死ぬかもしれません」と、少年はノートを埋めた去年一年間の日記を恩師のS先生=当時福岡県U町立○中、現在同県△中=に届けた。日記のなかに、先生は「垢(あか)と、破れた作業服の下に隠されたすばらしい魂」をみた。ガリ版で二百五十部を刷り『ひとりぼっちの流れ星』と題をつけた小冊子は同級生、知人、町の人、土工や大工へと感動の輪を広げた。続いて千部、また千部。
少年の病状は危機を脱した。しかし、働かねばならぬ彼は、「安静」という苦手な状況に押さえられて、どうも落ち着かない。
●海の魚
「K!K!朝から一日中どなり声がひびいた日だった。いつもよくあることだが、やっぱり悲しい。でもよかった。晴れた青空の下で力一杯働けたから」(1月9日)
「朝は腹が痛くて仕事に行けるか心配だった。でも、結局は『この位のことで負けるか』と仕事に出た。仕事をしている時も痛くて痛くて死んだ方がましだとまで思った。それが三時間、八時間、十二時間、となるにつれて痛くなくなってきた。つまり勝ったのだ」(1月17日)
「だれもが忙しい時はくせものだ。だから、何をいわれてもただ『はい、はい』ですました。ぼくの一生は仕事だけかもしれない。でもそれでもいい。海で育った魚は、他の魚と違って荒波や暴風にもまれてたくましくなる」(2月1日)
夜業が続く。誤って金ヅチで手を打つとはれ上がって痛む。肉と鉄の勝負だ。ガン張った。仕事に熱中して時間がたつのも気付かなかった。「何のために生きるのかわからない」との友だちの手紙に「ゆううつならぼくをみろ」と日記に書いた。
●ああ!スト
「休日を利用して月二、三回大工学校に行くことになった。一年生が三十人近くいた。ぼくはこづかい銭を貯めたお金で製図道具一式を買い、入学金を納めた。何かが自分を勇気づける。自力で学校に行くことがうれしい」(4月30日)
「ストだ。西鉄バスは来ない。学校に行く許しを得て家を出たがバスは来ない。涙が出るほどくやしかった。頭をさげて行かせてもらったのに。ぼくはどんな事でも我慢した。それを思い出して何キロも走った。途中で腹が痛み出したが負けてはいられなかった。十数キロ来るとバス停に一人おじいさんがバスを待っていた。バスは来ないですよ、というとおじいさんは淋しそうに帰っていった」(4月27日)
「学校に行く用意をして親方さんにいつもの通り頼んだら、ダメだ、きょうは休め、との返事だった。いつも朝早くから夜遅くまで力一杯やってきたのに。月にたった三日の休み。この三日のために、みんな働くのだ。なにもかも忘れてただ働いた。真黒い汗がスタスタ流れる」(5月25日)
●お母さん
六歳のときに死んだ母は、土工をして彼を育て、仕事中に事故で亡くなったのだという。彼をささえてきたのは、人の情と心の中の母だった。
「休日となった。作業ズボンを買いに行く。あちこち見て回るが、とてもぼくの金では無理だった。やっと一番安いのを買うことにする。しかしスソを修正するのに、別に百円いります、と店員がいう。
『スソはどんなにして曲げるのですか』
『お母さんにぬってもらえば』
『いないんです』
結局その人がサービスでしてくれることになった。店員さんのやさしさに涙が出た」 (6月22日)
「ある建具屋さんが語っていた。『見習い職人を育てあげるためには、親のない子が一番だ』と。『食事にも文句をいわないし、何事もだまってやる』。どんな苦労をしてもいつか報いられる日があってほしい。親身に可愛がってもらえばその子はそれ以上にガン張ってくれる。ぼくは自信をもっていえる」(10月16日)
●雪のように
それは青春といえるだろうか。ゴーゴーもエレキも、そしてヒッピースタイルも、まったく無縁の世界であった。勉強さえも、思うにまかせなかった。世間では五ケタベアだと浮かれる。
「何故働く。きょうは働きながら働くのがいやだった。若い人たちのように叫びたい。遊びたい。青春を味わいたい。いつか年をとってしまう。ただ一人前になろうとすることがこんなに無残なものとは…」(4月1日)
「このままの状態でいけば、あと一週間で倒れるだろう。近ごろは夜も遅い。ほとんど気力で働いている」(6月2日)
心の中では、お母さんと叫んでいた。ついにくるものがきた。血尿。医者は働くなととめた。
「男というものは負けることがわかっていながら戦うものだ」(12月4日)
「仕事場には歩いた足跡が点々と続き、とても楽しい風景であった。上から降ってくる雪にわざと顔をむける。限りなく『ファッ』と静かに落ちてとけてしまう。仕事しているから寒くはないが手と足は冷たい。体もだるい。病気に負けてたまるか。あの白い雪のように飛んでみたい」(12月28日)
「はい、学校を出てから一冊の本も読むヒマがありませんでした」
少年はポツリ、ポツリ話した。一時は重症だったが、いまは安静と食事療法を続け、ゆっくりと病院内を散歩することも許された。まだ数カ月はかかるだろうとの医師の診断である。
彼の同級生が通っている同県立U高校などには、その木の名からとった「流れ星の会」ができた。本の売上げは友情カンパとなった。
「中学でもあの子はほとんど1だったのです。教師というものは、つい成績のよい子に目を向け勝ちなもので」とS先生は語った。
筑後川の見える先生の家で、実物の日記をみせてもらった。ボールペンと鉛筆のきちょうめんな字が、行間をびっしりうめていた。少年の涙の跡を見る思いがした。 |