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彼女が1年間入院したとき、最初の3ヵ月は個室から一歩も外に出ないくらい落ち込んでいた。でも、これではいけないと思い、大部屋にしてもらった。それからが彼女のすごいところ。
積極的に面会スペースに行って話をし、いつしか彼女が行くと話の輪ができるようになった。
「がんになって、みんなが暗いものを背負っていたけれど、吸い付くようにきてくれた」
そこに集う患者たちは徐々に明るさを取り戻していった。夜8時にテレビで歌番組があるときはみんなで歌い、時には歌いながら涙し、彼女は「私は歌えないから踊るわ」といって踊った。
病気が病気だけに、初めのころは暗い人が多かった。
「暗くなってもしかたがない、がんを楽しく生きようよ。泣きたくなったら口角部分を持ち上げてごらん。笑顔になるから。笑っていようよ」。そう声をかけた。
病室でカーテンを閉めていると雰囲気全体が暗くなる。
「カーテンは治療のときだけ閉めるんだよ」といって、体調が悪いときや話したくないとき以外はカーテンを開けているようにした。
桜の咲くころに桜の花、季節に応じてつくしやタンポポなど紙コップに差し、寝たきりで動けない患者さんの枕元に置いてあげた。「今年も桜の花を見ることができた」と涙を流して喜んでくれた。
入院時はパジャマらしくない軽快なものを着て、外来で抗がん剤治療を受ける日もなるべく明るい服装にして気分を明るくしている。ウィッグもショートからロングまでメーカーを違えて何種類か揃え、楽しんだ(結局、ウィッグは蒸れるので、バンダナが一番よかった)。
彼女のケータイには知り合った患者さんが「K(←病院名)友人」として登録されている。
「亡くなっても消さないの。時々天国へ、どうしてる〜とメール打ってる。届かないから戻ってくるけど、それでもいいの」
彼女に、「がんができたのは今までの生活が悪かったのだから、変えなければいけないという人もいるけれど、何か変えました?」ときくと、「そうやって食べ物など制限した人たちも、みんな亡くなった。死ぬときはこの病気でしょうけど、好きなようにしている。本が好きだから夜中にふと目覚めて2時間位読むこともある。ストレスを残さないことが大事だと思う」
病気を告げられたときには、自分自身のことではないような感じがして冷静だったそうだ。だが、やがて体調の悪化で精神もドン底まで落ち込んだ。なぜ私だけが……と絶望感にうちひしがれ、笑っている人を見てもねたましく思えたと率直に話してくれた。すると、隣の人も「そうそう、私も同じ。なぜ私ががんにならなきゃいけないのって思った」と相づちを打っていた。
どんな病気も大変そうで、一人一人が病気に向き合うしかないけれど、今日きいた余命数ヵ月の宣告に克ったYさんの話にはとても勇気づけられた。
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