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masaさん ありがとう by yururi
桜の花の満開に合わせてmasaさんのことを書こうと思っていたのに、桜の花はとっくに散り、5月も下旬に入ってしまった
。患者家族であったmasaさんが元気でいてくださればいいなぁと思っている
(masaさんにこの文章は最初に目を通してもらった)。
masaさんのメールを最初に受け取ったのは、私が2005年6月30日に池袋でウィッグを購入したと書いた後だった。奥様がやはり副作用での脱毛が避けられないので、ウィッグ
や帽子などを探していらしたのだそうだ
(以下、メールの内容については部分的に抜粋した)。
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■2005年7月22日
私の妻(31歳)が、今年(2005年)の1月、肺ガンの診断を受けました。
腺ガンで病期は4期、脳に転移しており、ガンマナイフをあてましたが
予後が良くなく5月に開頭術により摘出しました。
全身的な治療としては、
主治医から標準的な抗がん剤治療を薦められましたが、
本人と相談考慮の上イレッサを希望し処方を開始しました。
残念ながら肝機能の数値が上がり、
肺炎の兆し(イレッサの副作用かは不明)も現れ、
イレッサは1ヵ月程で中止となりました。
来週より入院し、カルボプラチン+パクリタキセルによる
治療の開始予定です。 |
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肺がんは、高齢者が比較的多く、40代でも若すぎると思えるのに、ましてや31歳という女性にとって肺がん宣告はどんなにかつら
いことだろうと・・・。 すぐ返信をしたところ、同日、早速お礼のメールがきた。
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■2005年7月22日
脱毛に備えることで少しでも
治療に向かう憂鬱な気持が軽くなってくれればと願います。
男の私であればいっそのこと剃ってスキンヘッドか?
とも思ってしまいますが、
女性の髪に対する情はどんなにかでしょう。
妻は今は覚悟を決めたようですが、
はげることに対してそうとう悩んでいるようでした。
患者さん自身の情報発信や感想、意見は大変参考になり
勇気付けられるものだと思います。
妻は、30歳で診断されましたが、発病はいつからはわかりません。
妻の病気を告げられた時、最初の1週間ほどは、
毎日泣いてばかりいました。
悲しみ、恐怖、怒り、不安...。
認めたくない気持、レントゲンやCT写真をみせらながら、
説明を受け、現実なのかと。
なぜ?どうして?と思う気持は当然でしょうが、
最近はこれからどうしていかなければならないのか、
どうしていけばいいのか、
考えるようになりました。
仕事そっちのけで情報をかき集める時期もありました
(今もそうかもしれません)。
本人に告知することにもためらいはありましたが、
これから病気と共存しながらも生きていかなければならないし、
社会復帰も目指したい。
告知しなければ、一緒に泣くことも笑うこともできない。
患者が自分の病気を知らず、家族が隠れて泣いている、
本人も不安になり、こんな悲惨な状態はありえないと思います。
私は、妻と一緒にこの病気に立ち向かい、
一緒に泣いて、一緒に笑っていきたいと願い、
早めの告知をお願いしました。
現実的な余命については話したことはありませんが
本人もおぼろげながらわかってはいるようです。
ただ余命というのは誰にも決められないのではと思います。
情報を収集する方であれば
自分の病気について知ろうと思うのかもしれませんが、
妻の場合は違うようです。 |
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メールの最後に「病気に負けず、またご家族への感謝の気持を大切に」と書かれていて、なんとやさしい方だろうと思った。
その後、7月25日にきたメールで、私と同じ店に行ってウィッグを購入したとの知らせが入った。「かぶってみて出来のよさと自然な感じでびっくり。(略)お陰様で良い買い物ができたと思います。治療に向かう気持が少し軽くなったのではと思います」とあり、ホッとした。
奥様の病室が、高齢な患者さんばかりではないかと気がかりだったが、「患者さんは驚くほど明るい方が多いですし、看護婦さんの対応など感心させれる所もあります」と書かれていたので、これから奇跡が起きてほしいと願わずにはいられなかった。
最初に病気が見つかった病院は地元でも優れた設備をもち、優秀な医者がいたらしいが、やはり様々な病気の高齢者が多いので、奥様を入院させる気にならなかったという。選んだ病院については、このように書かれていた。
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■2005年7月25日
妻の病院は、築地の国立がんセンターです。義父の強い希望でした。
そこがベストの病院かはわかりませんが
患者さんは驚くほど明るい方が多いですし、
看護婦さんの対応など感心させれる所もあります。
当然自分の病気も皆さん理解しており
積極的な治療を希望されてますから
雰囲気もちがうのかもしれません。
病院内は病室を含め、どこもきれいで近代的で
あまり病院らしい雰囲気はありません。
ただ全国より患者さんが集まるため慢性的な飽和状態で
入院は常にベッド待ちです。
1〜2週間待ちは普通のようです」 |
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病院に対して、不満をもったなら、それに対処してもらうか、病院を変わるしかないと思う。ブログ等で、病院の不満を書き、「そんなにひどいなら転院すればいいのに」と誰もが思うような病院に最後までいる人もいた。
私は、masaさんが、奥様に代わっていろいろ情報収集し、最善の方法を選択していこうという姿勢に深く感銘を受けた。彼は末期でも元気な人のブログを見て一縷の希望を抱いていたようだ。
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■2005年7月25日
妻は現在、脳転移のコントロールが思わしくなく
主治医からは厳しい状況である旨を告げられています。
順調に化学療法を行えるかどうかもわかりません。
1日中頭痛に悩まされ、夜中には発狂に近い状態になる時もあります。
治療が上手くいった方とは病気のタイプも
個々それぞれですから比べようとも思いませんが、
なんとかベストな選択をし、
今の状態でベストになれるようなことをしてあげればと思っています。
以前、少し読んだ、脳外科の先生がガンになり
その奥様(岩田規さん)が出された本に(ご夫婦で出版されてますね)
頑張れと日本語でいうと、
修行僧のように歯を食いしばってみたいな感じがするが、
Do Your Best!であれば、
その時、精一杯やってそれでだめならそれでいいと思います、
みたいなことが書いてあり、私も共感し、少し救われた感じがしました。
それでは、これから暑さも本番かと思いますが、負けずに行きましょう!
私は、笑えない時は、ウィッキーと3回言います
(無理やり口が笑った形になる)、
妻にも言わせます。口をとんがらせて言ってますが。
笑いは免疫力を高めるとか、顔が笑っているだけでも効果ありとか。
どうかお大事に。 |
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masaさんの言葉にはやさしさがあふれていて「masaさん、ありがとう」といつも心の中で感謝していた。
このメールをきっかけに、私も「ウィッキー」をいおうと思ったのである。masaさんに教わったおかげで、「ウィッキー」の輪が少しは広がったようでうれしい。
そのmasaさんにとって、2005年後半はウィッキーどころではなかった。2005年は、ブログを開設している30代の肺がん患者さんが力尽きることが続き、masaさんにとっても、さぞかしつらい日々であったことだろう。
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■2005年7月27日
私達、妻も私も哀れまれたり、同情されたりすることは望みません。
入院した時に同部屋の方が、皆に頑張れ頑張れといわれ、
「頑張れ」と言う言葉が嫌いになったわとおっしゃっていました。
鬱の状態に「頑張れ」は禁句だそうです。
常にストレスがかかった状態で鬱になるのですから当然かもしれません。
本日から入院になり、血液、尿検査等を行い、
週明け月曜からいよいよ治療開始の予定です。
点滴の抗がん剤治療は今回が初めてなので色々不安です。
カルボプラチン+パクリタキセルは点滴も1クール1日(1回)で済み、
副作用も比較的軽めということですが、
脱毛はほぼ避けられないようですね。
やはり2週間目くらいからですかね...。
順調であれば4クール行う予定です。 |
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自分たちが大変な時期なのに、最後には相手への気遣いを忘れない。masaさんのやさしさは相変わらずだった。それにしても、大病院だけに入院も数週間待ちの末にようやく治療に入れたわけだが、そんな順番待ちでなく、急を要する人はすぐに治療できればいいのにと歯がゆかった。
この後は、しばらく間があいた。でも、思い切ってメールを出してみたら、すぐに返事がきた。
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■2005年10月26日
私達の方はなかなか良い知らせもなくメールしそびれておりました。
8月に抗がん剤治療に入る予定でしたが、
脳転移の腫瘍に増大がみられ2度目の手術、
全脳照射しステロイド服用にて対症療法を行ってきましたが、
現時点での治療の術はなく、
ホスピスなど転院を検討することを薦められています。
教えていただいたウィッグは全脳照射のため脱毛後、活躍しました。
今月初めの友人の披露宴にも無事出席できました。
脳外科の先生は、癌性髄膜炎を併発しているという診断でいいと思うし、
後1、2ヵ月が大切な時間になるとのことでした。
医者のいうことはだいたい当たり、
妻の場合、統計は例外を許さないといった感じです。
病気を告げられて、どういう病気でどういう状態で
どういう予後なのかを知った時も辛かったけど、
これからがもっと辛いと思ってしまいます。
心の部分、精神的なことを受け止めるのが本当に辛く困難です。
こういった状況は当事者にしかわかりえないのではないでしょうか。
妻と私は、家では2人暮らし。
お互い人間ですから、夜中に泣き、叫び、時には発狂に近い状態、
わたしまで興奮してしまうこともありました。
現在は、身の回りの世話など短い時間も1人ではいられないため、
妻は実家にお世話になり、私が通い週末は泊まるといった状態です。
積極的な治療を望めず、保存的な治療、緩和療法に入るこれからは
本人の体調を整えること、家族の負担を軽減することが
大事かと思っています。
9月ごろ私は鬱に近い状態になり、あやうく共倒れになるところでした。
1対1で接し続けることでストレスがかかり過ぎたようです。
目が痙攣したり妻といると思考が停止してしまう状態でした。
重い病気や障害を抱えた人間と接するのは
間に入れる人間が必要だと思います。
前に書いた、脳外科医の岩田先生と奥様の本にも
赤裸々な部分がありますが、
介護する側にも息抜きも必要で、
医者であっても自分の死を受け入れるのは
困難なのだと思いました。
できるだけ在宅でと思っておりますが、
これからどうやって彼女を支え励ませばいいのか...。
本当の現実的な事は本人は未だ理解はしていませんが、
それでいいのだろうか...。
妻は今どういう気持、どんな心情かと思うと毎日眠れません。
なんだかやっぱりこの病気って難しいって事になってしまいますね。
よく言われる若いから進行が早いとかというのはなく、
病気が進むとこうだとかというのはなく、
人によってタイプはそれぞれ、薬を使い続けてでも
普通に生きれればそれでよし。
今、こういったインターネットというものがあってよかったと思っています。
yururiさんを始め病気や困難な状況を抱えた人達が
自分達以外にもいて励まされる。
ホームページの更新、まめにされてご苦労様ですが、
それは何人の方の救いや励みにもなっています。
苦にならない程度に頑張って下さいね、期待しています。
それではまた。 |
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お二人のどうにもならない状況を知り、何度読んでも涙が
あふれてしかたがなかった。メールを読み、もらい泣きした経験は初めてだった。率直に気持ちを語ってくださったけれど、つら
く、無念なのは
患者だけでなく、残される人も同じようにつらいのだということが、よくわかった。特に若いのに末期といわれた場合、なんといってよいのか、言葉
が見つからない。希望を
最後まで失いたくないと思い、癌性髄膜炎について主治医にきいてみたけれど、「そればかりは自分が主治医でも治せない」といわれ、ガックリした。
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■2005年10月31日
こんにちは。
わざわざ意見を聞いていただいたようでありがとうございます。
国立がんセンターの先生は「世界最高峰の治療を受けるのであれば
日本の何処の病院でも変わらない。
差があるとするなら臨床試験に参加してもらう機会、
チャンスがあること」と初外来時言っていました。
何処の病院でも変わらないというのは、
メディアでも取り上げられていますが、
中央や地方、規模の違いなどで差があると思うし、
治療成績でも差は出ていますよね。
平岩先生などは、ガンセンターは諦めのいい病院と仰っていますが、
化学療法などは安全に細心の注意を払い、
エビデンスに沿った治療計画を立て行っています。
手術など外科的な物は国内でも最高な技術、
経験のある病院だと思っています。
セカンドオピニオンをたてるのであればいい候補の筆頭ですし、
治癒の可能性、延命可能な患者を優先的に、というのは事実です。
患者さんに対して、なぜ治療方法がないのか、
あるいはなぜ積極的な治療をしないほうがいいのか、
明確に説明していると思います。
その上で患者本人がセカンドオピニオン、
代替療法など希望するのであれば
本人の意思が尊重されるべきでしょう。
妻は、ガンマナイフでお世話になった八王子の先生
(印象が良かったので)に
意見を聞いてみようかといいました。
「どんな答えかな?」と聞かれて
「きっとガンセンターと変わらないと思う」と答えると、
「そうだよね」といっていました。
2度目の手術前から本人も状況は把握しており難しいことは
理解しているようです。
手術を担当してくれた脳外科の先生は、
私だけにですが、こうおっしゃいました。
「奥さんは若いので2度目の手術に賭けました。
これが60歳の患者であれば
適用にはならなかった。50歳でもやれなかったと思う」
脳の正常部分を傷つけれられないため、
摘出を目的とした腫瘍は60%程しか取り出せませんでした。
結果、QOLの点で改善されたかはわかりませんが、
ある程度症状軽減と延命は図れたと信じています。
いま悩んでいるのは、ホスピスや緩和ケアのことです。
ホスピスって死を受け入れた状態ですよね...
それって御釈迦様の境地じゃないでしょうか?
年齢は関係ないかもしれませんが、
80、90歳と30代では感覚も無念さも違うと思うのです。
死を受け入れる。死ってなんでしょう?
今は、1日1日いい状態で、笑える事がある日を送れたらと思います。
1日5回笑って、1日5回感動......
5回は笑えるかな、5回感動は難しいかも。 |
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アドバイスできることなんて何もなくて、ただただ奇跡が起こりますようにと祈るしかなかった。そして、11月22日には、「腫瘍マーカー下がりましたね!!脱毛してしまったり、副作用も色々、通院も大変ですけど治療ができるのですから」という書き出しのメールが来た。
そうだ、どんなことがあっても、治療できるうちはありがたいと思わなくては。
masaさんから、むしろ元気をもらっていたのかもしれない。
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■2005年11月22日
今、私達は日々の生活や精神的にも困難な状況を迎えております。
症状は素人目にも進んでおり、良くなるということは
現実的には起こることはなく、
本人はどうにもならない感情を夫の私にぶつけ、
時には私も一緒に興奮してしまいます。
このような状況の患者や家族は、
どうやってどのような希望が持てるのか...。
一番支えになり、救ってやらねばならぬ妻のために、
私は本当に無力なのです。
というか、尽くし足りなく、妻にしてみれば至らないところばかりのようです。
今、私が感じていることを正直に表すと、夫である私は
妻の怒りや恐怖、苦悩をぶつけられる唯一最大の存在でありますが、
救ってやることがどうにもできないのです。
ほとんど無宗教の人間の私達でしたので、
救いということがどういうことかわかりませんが、
こういった部分はたとえば牧師さんや、
信仰が救いになるのかもしれません。
ホスピスなんかはもともとキリスト教の考えからでしたよね。
旅行や出かけること、食べることが人一倍好きな人ですから、
今は歩くのもままならないのですが、本人の希望で少しでも外出、
できるだけ美味しい物を、と日々過ごしております。
歩けること、食べられること、なんと素晴らしくありがたいことでしょうか。
一番の悩みは、どうすればもう少し、
妻の心を安らかにしてあげられるのかということです。
主治医からは、余命は今年一杯と告げられていますが、
要因となることからみてもそうなのでしょう。
妻の方は、恐らくそこまでの感覚はなく、
それよりも日々をどう過ごし次は何処へ出かけ、
何を食べるのかに思いをはせ、それが救いにもなるのですが、
計画どおりにならないことの方が多く、
よけいにストレスがたまり欲求不満になるようです。
本人の中にはあと1年は、との感覚ですが、
私との思いにもズレがあります。
恐らくは、近いうちに急速に症状が進んで現れると思われ、
今のうちに終末の過ごし方や、
その後の希望を聞いておきたい気持もありますが、
現実的には精神的な事柄もあり、困難な状況です。
一つ思うのは、今インターネットという物があり、
自分達以外にも同じような人達がいて、
痛みを抱えながらも
それぞれに人生を歩まれていることを知りえることです。
これがなければ、なぜ自分達だけと
自暴自棄にもなっていたかもしれません。 |
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このメールの最後でさえ、「ご主人への感謝の気持を忘れずに、またウィッキーで行きましょう!」と結ばれていた。
こんなに深く考え、分析し、抑制された文章として綴れる、頭のよいmasaさん。奥様のために一生懸命最善を尽くすmasaさん。そんな人に、このように苦しい試練が与えられたことが悔しかった。
そして、2006年、新しい年になった。
余命などあてにならない、余命は最低それだけは生きるということなのだからと、あくまでもmasaさんの奥様は生き延びていると信じていた。毎日毎日メールをしようかと悩みつつ、なんとか命ながらえていますようにと願っていた。
すると、1月に入ってから訃報が届いた。
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■2006年1月13日
お知らせするのに躊躇しましたが、ご報告します。
私の妻は12月24日に亡くなりました。享年31歳でした。
終末は本人の希望により在宅での緩和ケアで、
私どもは夫婦2人暮らしでしたので、
彼女の実家で家族の協力があり、
可能な限り本人の希望に添える形で最後までやれたと思っています。
亡くなる数時間前まであれが食べたい、これが食べたいと申し、
痛みや呼吸が苦しいなどの苦痛はコントロールできたようです。
これから色々整理しなければならないことがありますが、
教えて頂いたウィッグは夏目雅子ひまわり基金に
寄付しようかと思っています。
おかげさまで私は元気です。
このことであまり哀れんだり悲しまないで下さいね。
妻も私もそれは望まないですし、
精一杯、Do your bestでやれたから。 |
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その後、デカドロンの副作用について2月15日に届いたメールは紹介し、「ケロリひとば」に移してある。
悲しみはそう簡単に癒えるものではないが、ちょうどこのころ、同じように30〜40代で配偶者を亡くした方が悲しみをひきずって
いる文章を書いていたり、亡くなった患者さんのブログを遺族が引き継いで書くことの是非がコメントで議論されたりしていた。患者でなく、家族が鬱になっているようなブログもあった。
そういうことの対処法は「見ないこと」だから、コメントで論議するまでもない。私もいつしか見なくなった。
masaさんは治療中も不平不満をいわずに、最善を尽くしたと思うからこそ、早く立ち直ろうと努力したのだろう。失われたものは戻らない。それが現実だ。 私は、特に配偶者こそ悲しみからは立ち直って、亡くなった人の分まで幸せになってほしいと願う。
masaさんには、ありったけの気持ちを込めて、そう願っている。
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■2006年2月16日
患者や家族が望んでいることは
「ほかの患者はどうしているのか」の情報を知ることが
多いと思うし、私もそうでした。
遺族の方のブログでも同情や慰めを求めていらっしゃるのかな
と感じることがあります。
でも、悲劇のヒロインでいられる期間は短いのです。
これからも人生は続くし、生きていかなければならないわけです。
死というものは圧倒的な引力があって
ちょっとの油断で引き込まれてしまいます、
でも悲しみにくれ、塞ぎこんでいても周りも辛いし、
故人もそれは望まないでしょう。
何か趣味とか仕事とか積極的になれるものがあると
救いになると思います。
個人的には、理想を掲げ、活動や改革される方は
それができる能力や立場を持った人が必然的に動き、
実現されていくのではないかと思っています。
歴史をみてもそうであるわけで、その時は展開も速い。
個人としては、なにか大きなことをというのではなく、
自分の隣、そばにいる人の
力や助けになれることです。
人の痛みがわかるというのは自分の隣にいる人の痛みがわかること。
人の痛みがわかる方に触れた時、妻の闘病中の肉体的な苦しみ、
精神的な苦悩を思い返した時、私は涙が出ます。
男の一人暮らしってやっぱり食事がどうしてもって感じです。
実家が近く、両親も安心するので週に一度は行っています。
いろいろ整理しなければならないことがあるのですが進みません、
病気がわかった時もそうでしたが、こんなことが本当にあるのか、
自分の身の上になぜということがいくつかありました。
少しは落ち着きましたか?と声をかけてくれる方が多いのですが
闘病中が大変だったので、今は肉体的には正直楽です。 |
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masaさんのことを書いてもいい?ときいたときに快諾してくださった返事。でも、まだ亡くなってから2ヵ月しか経っていないので、私の中では桜の咲く頃にアップしようと考えていた。
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■2006年2月20日
妻の事は、病院の選択や治療方法がベストだったか
どうかはわかりません。
ただその時、最良の選択はできたと思っていて(思いたい)、
そのことの判断を後悔したくなかったし、後悔も意味がないと思うのです。
やれるだけやれたのだからというのが、残された者には救いになります。
それから...、病気や薬の事は患者さん本人が知りたいと思わなければ
知らなくてもいいんだと思います。
ガンセンターの先生とお話していた時のことです。
一人の先生が「我々は患者さんに聞かれれば全てをお話します」
と言った時、
それを遮るように「知らない権利もある!」
と別の先生が強く意見されたのを覚えています。
私は自分だったらどうかと考えた時、全てを知りたいと思い、
情報を模索しましたが、
妻は必ずしもそうではなく少しずつ受け入れていきたいし、
あまりマイナス的なことは知りたくないようでした。
幸いにも闘病中は鬱のような期間もなく
それは彼女の姿勢のためもあったでしょうし、
私だったら果てしなく落ち込み、彼女を困らせたのではと思っています。
家族の誰かが、状況を正確に把握しておくことは必要だと思います。
ウォーキングいいですね、
そういう時って自然に夫婦の会話ができますよね。
話すことがなくても一緒に歩くだけでもいいし。
私の妻も歩くのが好きな人でした。
妻のことを少し書こうかと思うのですが、
やっぱりまだ感情がグルグルしてしまうのでまた機会があれば。
それでは。
masa
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そして、このメールから早3ヵ月も経ってしまった。いつもいつもmasaさん、元気かなって気にしていた。
masaさん、ウィッキーを教えてくださってありがとう。
masaさんも、これからもっと顔出ししてくださったら、すご〜〜〜くうれしい。奥様のことも機会があれば。
そして、幸せをつかんでください。masaさんのページがようやくアップできてウィッキー。
*これを見ていただいた後、masaさんからメールがきたので、それはまた明日。
masaさんに奥様の好きな花を伺った。たまたま今の季節に満開。
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