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 2006年5月

 

5月14日 
5月13日
5月12日 
5月11日 
5月10日 
5月 9日 
5月 9日
5月 8日
5月 7日
5月 6日
5月 5日
5月 4日
5月 3日
5月 2日
パンと、人生の意味 
上品、下品・粋と野暮
コスモスさんとフランクル
私も好きな言葉 
たまには病気の話などします
死生命有り
カメラ到着
クスクス
仕事か・・・
万年筆が付録
国家の品格を読んで
「野遊び料理」でした
厄日とチューリップ
高野山
  5月31日
5月29日
5月28日
5月27日
5月27日
5月25日 
5月24日
5月23日
5月22日
5月21日
5月20日
5月19日
5月17日
5月15日
縁ですねぇ
「有毒性」
認知症で考えたこと
Part2   認知症

良心と良心的は相容れない
「悲」
治療の話
イレッサ
この花は何?
ツクリモノです
なばなの里
放射線 とランスさん
ランスさんの黄色いバンド
はじめてのカメラ



  5月 31日 (月)    縁ですねぇ

 

気がつかずにゴメンナサイ

紹介した私が気づくべきでした。(m_m)。
Lapitaの万年筆のペン先にはカエルのマークがついています。
まさに「無事カエル」です。

縁ですねぇ。

 

 
 

 


  5月 29日 (月)    「有毒性」 
 

昨日、「有責性」について述べました。
民主党のガン告白代議士に対しても、
いままで悪を目の前にして佇んでいただけなのに
自分の身に降りかかって(自らの有責性は無視して)
他罰的に行動するのはおかしくないか、という整理をしてみると、
その胡散臭さが浮き彫りになります。

「基本法の制定は、権利義務に関わる規定がないだけに、
関係方面との利害調整をする必要もなく、
単なる高尚な作文に終わるおそれも多い。
これを意味あるものにするのは、
基本的な努力の方向を示す第一歩にすぎないとの認識のもとに、
その理想を実現するための具体的な法律事項を盛り込んだ法令を
現実に作り上げ、その着実な運用に努めていくことである。」
(「実務立法技術」・商事法務・内閣法制局第三部長・山本庸幸著)。

とあるように、単なる訓示規定になる可能性が高いです。
具体的な法律事項がない作文で、いまごろこれを提出するというのは、
これからはじめますからよろしく、という法律なので、
いままでなにやってきたの、と突っ込みを入れてあげたいですねぇ。

わかっていていままでできなかったことには理由があるはずで、
いままでできなかったことの説明責任を果たしてから、
具体的な法律策定の仕事をしてほしいものです。

医療行政の法律等については素人ですから
これ以上は与太話になりますが、いまさら
基本法ですか、というのがいまのところの素直な感想です。
医療の基本法はないのに、がんの基本法はできるのですねぇ。

首筋の腫れはリンパのそれですが、ガンによるものかどうか、不明です。
ドクターの話ですと、転移はするが徐々に大きくなるのが通例で
一気に大きくなる例は少ないとのことです。

昨年再燃したときも同じ症状がでました。
数ヵ月かけて腫瘍マーカーの値が小さくなるのと並行して
シコリも小さくなりました。
様子をみながら8月あたりに決めたいと思っています。
 

 
 

 

  5月 28日 (日)    認知症で考えたこと

 

NHK「ともに生きる」を観ました。
「前向きに頑張ろう」「ともかく明るく」のまとめと
日本の現状に対するみのさんの言及が対照的なまま番組が終了しました。

「がんばれと言っても効かないぎりぎりの立場の人間」(五木寛之)
については、正面からはとりあげていないですね。

私は母に頑張れとは言えない。ともかく明るく、とも言えない。
明るくといっても自分の感情の表現がかすかにしか
できなくなっているのですから。

女優の永作博美がナレーターをしていました。
韓国映画「私の頭のなかの消しゴム」は
昔の日本のテレビ番組のリメイクですが、
その日本版の主人公を演じていたのが彼女です。
彼女の起用からNHKの意図が浮かぶようです。

まあ、私の場合は、「本人がガンで、親が認知症という事例」ですから(笑)、起こりうる状況を考えますと、
私がいなくなったことを考慮に入れて対処しなくてはいけない。
とくに経済的な面での対処ですが。・・・

この5月の連休に、ある外資系の保険会社に私の死亡保険金をベースに、いろいろと条件をつけて、それにあう商品設計ができるかどうか、
試算させました。(認知症の老人にはとうてい管理できませんから)。
・・・据え置き期間とか必要な場合の引き出し条件とか
私の意図とはくいちがっていました。
10数枚の試算されたプランが
ことごとく私の意図とは違っていたのには閉口しました。
信託銀行の友人や知り合いの弁護士と相談しながら
対処するつもりですが、いい商品があるかどうか。
・・・ともかくいくつかのプランを残しておくつもりです。

みのさんが一番まともなことを言っていて
月光仮面のように格好よかったですが、
こういう世の中を作った責任は我われにもあり、
ましてみのさんはマスコミ人として有責性が高い立場の人ですので、
その言動は複雑な気持ちを抱かせます。
堀田さんがボランティアを含めて
日本人の意識の変化を推進していくときにご協力をお願いします、
とみのさんに振られたときに、反応しなかったのが彼の限界でしょう。

「悪を目の前にしてたたずむ有責性」(釈徹宗)の自覚から
すべてがはじまるのに、有責性を自覚せず他人事として取り扱うことは、
挨拶に困りますねぇ。

とくに、政治家とかマスコミの人が自らの有責性を自覚して
「なんとかします」という意識で取り組んでもらわないと、
無責任の助長をするだけになります。

必要以上の形容詞、副詞で飾らねばならない報道は、
眉唾というか報道する側の後ろめたさがあると思って間違いないです。
静かに事実を列挙して編集で勝負できる番組を、
最近、みたことがありません。

ゲストのコメントがなければ番組が成立しないのは、
ジャーナリストしての能力がなくなったということでしょうね。
コメンテータのコメントに期待するのが無理です。
彼らは、position talkしかしませんから。

The latest is the best. 最後に来たものが一番良い。
歴史主義は、いまが過去を克服してきたのだから一番良いとしますが、
私はそうは思っていません。
日の下に新しきことなし、です。
退化していると判断して間違いはないでしょう。
そして、いつか来た道をまた行くことになる。

今日は、こちらも曇りで、私は終日、寝たり起きたりしていました。
首筋の腫れは痛むのですが、
腫れ自体は小さくなっているような気がします。
ガンの転移ですと小さくなることはないとのドクターの説明ですから、
転移の可能性は少ないようです、たぶん(笑)。

 

 
 

 

  5月 27日 (土)    Part2   認知症

 

■「漢方でできること、できないこと」
 http://blog.livedoor.jp/naorukanpou/?blog_id=448962

認知症の入門の入門の初歩といったところです。

65歳以上の10人に1人を多いとみるか少ないとみるか、ですね。
物忘れが即認知症にはならないでしょう。
子供は大人よりも物忘れが多い。でも、子供は気にしない(笑)。
必要以上の心配はしないほうがいいと思います。
大人は子供と違ってハードディスクのなかのデータが大量ですから、
引き出すのにも時間がかかり、忘れることが多いのは理の当然です、はい。(池谷裕二がそう言っていました) 

母のことがありますから、あとから録画を観てみます。

 

 
 

 

  5月 27日 (土)    良心と良心的は相容れない

 

(mickeyさんにETVワイドともに生きる「認知症」を教えてさしあげた)
認知症の番組があることは知りませんでした。録画します。
で、後日、早送りしながら観てみます(笑)。
今年は、認知症の当たり年なのでしょうか。
韓国と日本のそれぞれで映画がヒットしているそうですし、
それも主人公が20代の女性、40代の男性と、
有吉佐和子の小説の時代とは違って若い人ですね。・・・
偏見をあおるように内容でなければいいのですが。

NHKは良心的な番組をつくりますが、この「的」というところが曲者で、
決して良心に従って制作した番組ではありませんね。
山本夏彦に「良心的という名のうそ」というエッセイがありますが、
自らは善意という立場で、決して自らの有責性は認めない。
すべてはあいまいのままに映像が流れていくのでしょうね。

NHKは良心的な番組をつくり良心的な人たちに提供する。
良心的な人にとってはすべてが「人ごと」なのです。
良心に従って番組を制作すること自体がNHK的ではない
という構造の組織です。すでに、賞味期限が切れています。

「人ごと」として扱われた当事者のなかには腹が立つことが多いでしょうね。しかし、それは良心的という名の無責任に反論を封じられます。
なぜなら、彼らには自分たちのしたことがすべて善意ですから。
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉は
思いもよらないでしょう。

良心と良心的は相容れないものです。
・・・というような偏見を私はNHKに抱いております。

がんを告白した民主党議員については、
ニュースでみて彼のHPを覗いてみましたが、
よく解らない人だったので、コメントは差し控えます。
壮絶な決意などと感傷過剰な表現で
マスコミが取り上げなければいいですが。
・・・バランスとの取れた判断をしてくれればいいと思いますが、
まあ、いまの政治家にそれを期待するのは無理ですかねぇ(笑)。

元気なガン患者というのは、絵にならないのでしょうねぇー。

今日は、もんじゃ焼きというものをはじめて食べました。
・・・なかなかいいものですねぇ。
 

 
 

 


  5月  25日 (木)    「悲」
 


「悲しむ能力を失った人の涙は菩薩が代わりに流してくれるのでしょうね。」

説明と言われても、そのときの気分のまま書いた一文ですので、
難しいですねぇ。(笑)。
説明というより気分をそのまま書きますので筋が通っていませんが、
ご了承下さい。

この一文を書くとき、五木寛之の「他力」の一章を思い浮かべていました。
五木寛之の力を借りて説明します。

「悲」はサンスクリット語で、「カルナー」といい、
溜息、呻き声の意味だそうです。
masaさんのお話に涙を流されて皆さん方も「悲」の人です。
 

 

「カルナー」は、「他人の痛みが自分のように
感じられるにもかかわらず、
その人の痛みを自分の力では
どうしても癒すことができない、
その人になり代わることができない。
そのことが辛くて、思わず体の底から
「ああ・・・」という呻き声が発する。
その声が「カルナー」です。それを中国人は悲と訳した。
何も言わずに無言で涙をぽろぽろ流して、
呻き声をあげる。(五木寛之)

 

子供を失った悲しみは、認知症の母には、
悲しみを表現できないという意味では閉ざされた悲しみです。
幼子が表現できなくても様々なことを知っているように
認知症の人も様々なこと(不安、恐怖)を感じているように私は思っています。

 

閉ざされた悲しみ、閉ざされた痛みというのは
二倍にも三倍にも大きくなる。
孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。
そういうときにどうするか。
そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。
その人の手に手を重ねて涙をこぼす。
それだけでいい。
(中略)
がんばれと言っても効かない
ぎりぎりの立場の人間は、それでしか救われない。
それを<悲>と言います。(五木寛之)。

 

 菩薩は本当の菩薩かもしれませんし、親族かもしれません。
親しい友人かもしれません。
 こんなことをイメージしながらこの一文を書いていました。
 ただ、それだけの意味です。

 
 

 

  5月  24日 (水)    治療の話

 


■バラとベコニア

ピンクがよかったのですねぇ。
気づかずにごめんなさい。(m_m)。
写真大きくなぁれ♪
あのベコニアの珍品種は、
大理石の床の間のようなところに
飾ってありました。
特別扱いされていましたから、
相当貴重なものなのでしょうね。
気持ち悪いのは同感です。
送ってゴメンナサイ。
とあやまってばかりですが、
気になったので調べてみました。
たぶん、たぶんですが、
レックスベゴニアの一種のようです。
しかし、あれを美しいと言う人もいるわけですから、世の中、様々です。

解説によると、葉の美しい品種の多い「観葉ベゴニア」ということですの
で、コスモスさんのご指摘のとおり葉っぱのようです。

■イレッサの話が出ているので、私も治療の話。
私の最初の治療は、
パクリタキセル+カルボプラチン+放射線治療を2クール。
1ヵ月の間をあけて、抗がん剤のみです。
最初の2クールの抗がん剤は、放射線を併用していたこともあり、
1回分は1/3で、毎週でした。
後半の2クールは、3週に1度の投与です。
昨年の5月2日に最後の投与が済んで、7月末には再燃しましたが、
その時に勧められたのが、
 1)ジェムザール+ナベルビン
 2)ドセタキセル
 3)イレッサ
の3種類です。
(ドクターの勧めを退けて、対処療法、緩和療法を選択して、
どういうわけかなにもしないでここまできて、仕事も適度にしていますから、不思議なものです。余命半年の診断書を書いてもらえそうになって、
もう1年になりますねぇ)。

いま、頚部リンパ(右耳の下、顎のえらの直下)が腫れて、
首筋にも腫れが指2本分のシコリになっていますから、金曜日の検診では、
ドクターがCTとか超音波の検査をすると言い出すかもしれませんね
(こぶとり爺さんです。うん? あれは頬でしたっけ)。

昨年も同じようなところが腫れていまして、
そのときはイレッサの検体に使うと手術で大事になるから、
といっていましたから、ガンの可能性が高いようです。
予想はしていますが、これは検査結果がでないとわからないことですから、「明日の心配は明日に任せます。」(笑)。

みんなが深刻に心配しない程度に、治療経過紹介させていただきますね。次の一手は何なのかが興味あるもので。
次の一手は、温泉旅行のはしご、かもしれません(^0^)。

まずは、事実認定です、はい。
コスモスさんをみていると、ジェムザールも捨てがたいですなぁ(笑)。
もう、1年たちますから別の抗がん剤を勧められるかもしれない。
何事も通院する病院の考え方と在庫の問題でしょう。これも縁です。

■masaさん
masaさんの話は、いろいろなことを考えさせられますね。
とくに若いから。
私など逆縁ですから、母のことを考えます。
認知症であることが救いとも思いますが、
悲しむ能力を失った人の涙は菩薩が代わりに流してくれるのでしょうね。

 
 

 

  5月 23日 (火)    イレッサ

 


「mickeyさんはイレッサはしないのですか。
効果がある人もいるのに」ですか(笑)。
どうでしょうか、JOBOさんではないですが、
喫煙者ですから、効果は望めないでしょう。
この薬は、わるいことをしていない人のためのものでしょう(^0^)。
もっとも検体で効果がある可能性が高いとの結論がでれば考えます

花も種切れですよ。(笑)。
新幹線は普通車で往復します。
グリーンには乗ったことはありません。
明日は、ipodでモーツアルトでも聞きながら、眠ることにします。

 
 

 

  5月  22日 (月)    この花は何?
 


私もお花の名前は、わかりません。
この花もベゴニアガーデンでは
特別扱いされていていましたが、
覚えられませんでした。(笑)。

 
 

 

  5月  21日 (日)    ツクリモノです 
 

木曾三川公園にあったツクリモノです。
置物の写真をみていて、これもあった、と送ります。

大きな写真はコチラ!!
(↑この写真、大好き yururi)

 
 

 


  5月  20日 (土)    なばなの里
 


私の場合、治療方針を担当したのは、
別大学から病院にきている放射線科の教授です。
週2回半日出勤して、治療方針を決定するようです。
これをみてもいかに人がいないか、といったところです。
放射線の機械があっても、その病院専属の医師はいなくて
技師だけなのが普通でしょうね。絶対数からいって。
 

なばなの里に行ってきました。
ベゴニア、バラ、その他といったところです。
修行中ですが、カメラがいいと面白いですねぇ。
大きい写真はコチラ

 
 

三重県にある「なばなの里」のホームページ↓
http://www.nagashima-onsen.co.jp/data/i1_1.html

 
     

  5月  19日 (金)    放射線 とランスさん

 


■放射線の副作用
  JOBOさんは放射線治療を、
根治を目的としてするわけですね。
私の場合の副作用は、食道炎と皮膚の炎症(白血球等については
抗がん剤を併用していましたので特定できない)ぐらいで、
白い液体を食事の前に飲んでいました。
日焼けしたようにあとが残っていました。

後遺症としては、放射線を投射した肺の細胞が繊維状になっていて
レントゲンを撮ってもドクターの言葉を借りれば
「(がん細胞があるかどうか)ワカリマセーン」という状態のようです。

日生が手術保険金をくれましたから、軽い手術相当なのでしょうね。

歯医者に通っていてレントゲンを撮るときに
プロテクターをつけさせられるのですが、もう遅い、と笑っています。

最初は広い範囲に投射して後半はガンに直接、
うしろから前からされました。

副作用は人によるようですねぇ。
ですので、お奨めも、とめもいたしましせんが、
私の場合、副作用は軽度でした。

■母が迷子 今日は、認知症の母が買い物に行って行方不明になり、
帰宅してから2時間ほど自転車で探し回りました。
警察で母を受け取るとき、
指紋を黒のスタンプに右手人差し指でとられました。
はじめての経験です。
近所を巻き込んでの騒ぎになりましたが、
母は仏様のようにニコニコしています。かわいいものです。

「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」を読んで

ランスの言葉から三つ選ぶなどと難しいことを(笑)。

 

 (1) 僕も彼ら(医師達)とともに責任を分担し始めたことだ。
 (2) 「まっ、こんな日もあるさ」
 (3) 問題は僕自身をふたたびみつけることなんだ。

 

といったところです。

 
 

 

 
  5月  17日 (水)    ランスさんの黄色いバンド
 


アー忙しい 株主総会が近づき、ばたばたしています。来週の水曜日は東京出張が入りました。日帰りですが、1年半振りの出張です。帰宅は遅くなりそうです。体調は不調ですが、酒が足りないとの自己診断で、今日も誘われるままに飲んできました。おかけでよく眠れそうです(笑)。

がんから生還
 

http://www.asahi.com/international/update/0517/007.html「がん」から生還、涙の初会見 スノー米大統領報道官
(2006年5月17日のasahi.comより)

 「愚かに聞こえるだろうが、ここで個人的なことを話したい。私は去年、この病を通過したが、それは私にとって、これまでで最良のできごとだった」――ブッシュ米政権の新しい大統領報道官に就任したトニー・スノー氏が16日、ホワイトハウスでの初会見で、05年に大腸がんで手術を受け、生還した自らの病歴に触れた。同じがんで母を亡くしたことも明かし、目に涙をためて生きる喜びを吐露する、異例のデビューとなった。

 スノー氏はこの日、左手首に黄色いリストバンド(腕輪)をつけて登場した。会見の後半、「なぜ黄色い腕輪をつけてきたのか。あなたにとっての意味は」という質問を受けたスノー氏は「昨年、がんを患った。その時のものの一つだ」。黄色いバンドは、やはりがんから生還し、自転車ロードレースのツール・ド・フランスで前人未到の7連覇を果たしたランス・アームストロング選手が呼びかける、がん患者支援運動の象徴だ。

 「実は、ランスとはきょう話す機会があった。私がこの席に立つことができ、医者から『この人たちと話すと胸焼けするかもしれないが、がんの心配はしなくていい』と言ってもらえる医療技術――素晴らしいことだ。毎日が祝福だと感じている」。記者団からも静かな拍手が起きた。

 

ランスが模範になっているように、
コスモスさんも模範になっていると思います。
で、決して褒めすぎではないです。変なところも含めて(笑)。
「汝自身の道を歩め、人をしてその言うに任せて」という言葉があります。
気にせず勝手に言わせておいて下さい(笑)。


連休中の格闘技番組で、
セコンドについた人の太い左腕に
黄色のリストバンドをみつけて、おー、と驚きました。
私の手首にもリストバンドがあります。

ガンからの贈り物、生きていることが祝福だ
という感覚を味わうためにはできるだけ長く生きることのようです。
QOLを保ちながらできるだけ長く生きることのようです。


ひとりひとり方法としての選択は違いますが。

 
 

 

  5月  15日 (月)    はじめてのカメラ
 


昨日、地元の祭りを何年振りに覘いてきました。
で、外ではじめてのカメラです。
・・・こりゃ、あかん、と言いつつ、数枚送ります。
 
 
     

 

 
 

 


  5月  14日 (日)    パンと、人生の意味 

ラザロさんの「一匹のめだか」はいいですねぇ。
「一茎の葦」の葦として生きる気持ちが現れていて素敵です。
パスカルにおける「賭け」にもおそらく同意されているのでしょう
(「一茎」といまは表現するのですねぇ。私は「一本」の訳の時代です)。

パスカルの葦のことを考えるときにいつもセットで思い出す言葉があります。
キリストの「人はパンのみにて生きるにあらず」というあの有名な言葉です。
山本七平先生だったか、小林秀雄だったか忘れましたが、
「人はパンのみて生きるにあらず」は、
「人はパンのみにて生きてはだめだ」という意味ではなく、
「人はパンのみにては生きられない」というやっかいな生き物だ
という事実を示している、と解説していました。

パンのみにて生きられればこれはこれで幸せでしょう。
しかし、そのような形で私たちは存在していない。
考えるというのが人の宿命ならば、
どのように考えるかは
一つの蒸気で命を落とす存在としての立ち位置に留まるのが
人としての尊厳と考えています。
「弱さ」のもつ尊厳といってもいいかもしれない。

「人はパンのみにて生きるにあらず」と
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦(足?) にすぎない。
しかし、それは考える葦である」が、私のなかでは一筋に繋がっています。

しかし、素敵な人たちが集まっていますね、ここは。(笑)。まさに復活ですねぇ。

「人生に意味はあるのか?」のパロディ版です。(笑)
人生に意味はあるのか?
愚問のようである。

首題を「  」に入れて、主語、目的語等を入れてみるとそれがよくわかる。
主語に私、述語は尋ねる。
誰に、というのがはじめに困る。まあ、最初は私だろう。

私は、「人生に意味はあるのか?」と私に尋ねる。
   ・・・私が私にというのは、循環を予感させる。

で、誰に、をあなたにしてみる。

私は、「人生に意味はあるのか?」とあなたに尋ねる。
回答するあなたは、「人生」という言葉に躓く。
「誰」の人生の意味を回答するのだろう。私のか、あなたの、か。

私は、「私の人生に意味はあるのか?」とあなたに尋ねる。
   ・・・そんなこと解らない。

私は、「あなたの人生に意味はあるのか?」とあなたに尋ねる。
   ・・・ほっといてくれ。

フランクルは、主語を人生に、「人生」を「私の人生」に、そして私に尋ねる。

人生は、「私の人生に意味はあるのか?」と私に尋ねる。・・・ホットイテクレ。

 

  5月  13日 (土)     上品、下品・粋と野暮

山本夏彦の本を読んでいます。

山の手の奥様は、山の手は上品、下町は下品と言う。
下町のおかみさんは、下町は粋、山の手は野暮と言う。

ベストセラーの「国家の品格」は品のある国家になれってことだから、
これは野暮。
作者の藤原正彦はみるからに野暮。納得。粋は粋(すい)とも呼ぶ。

山本夏彦は明治時代までの職人を粋としていたが、
いまは、言葉も食い物もすべて山の手に支配された時代だと言う。
つまり、野暮が支配する時代。

藤原正彦は品格を失った下品な時代と言う。
ふたりとも正しいとすると、下品で野暮が支配する時代ということになる。

該当する事例をさがしてみると、さがすまでもない。毎日の新聞に載っている。

志ん朝の落とし話でも聞きたくなった。

 

  5月  12日 (金)     コスモスさんとフランクル

コスモスさんの語りは素敵ですねぇ。
tokoさんへの言葉は、肉声を聞いているような気分になりました。
整理がいきとどいた語り口は、「男も女も頭のいいのが一番だ」
(丸尾長顕)という言葉を思い出しました。

コスモスさんは、「他者の実存(他者が示す模範)」になれる、
いや、すでになっている人かもしれない。

「 ↑ 」は、フランクルの「それでも人生にイエスと言う」(春秋社刊)
に書かれた言葉です。
フランクルはご存知のようにナチスの強制収容所の体験を綴った
「夜と霧」の著者です。
この「それでも・・・」は、生きる意味についての彼の講演を納めたものです。
コスモスさんの語りを読みながら、この本を思い出し、書棚から引っ張りだして
以前読んだときの赤線を読み返しています。
コスモスさんの好きなランスを読んだときもそうでした。

「人生のルールは私たちに、
どんなことをしても勝つということを求めていませんが、
けっして戦いを放棄しないことは求めているのです。」(フランクル)

「困難に対してどのような態度をとるかということのうちに、
その人本来のものが現われ、
また、意味のある人生が実現されるのです。」(フランクル)

「『私は人生にまだなにを期待しているか』と問うことはありません。
いまではもう、『人生は自分になにを期待しているか』と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているかを問うだけです。」(フランクル)

「生きる意味をそれぞれ自分の存在において実現するか
どうかにかかっているのです。」(フランクル)

これを彼は「第一に個人的なものでなければなりません。
第二に活動的(アクティブ)でなければなりません。」とし、
そうであってこそ「現実的(ポジティブ)であることができる」としています。
訳者は「現実的」にポジティブとルビを入れています
(いいセンスをしています)。

人生の問いは具体的であり、それはつねに目の前にあります。
目の前の問いに答えることを決断することが人生に意味をもたらすことです。
これが「今を生きる」ことの意味です。
彼は、人生の問いはその都度の「ここ」と「今」に結びついた問いと
定義しています。これはひとりひとり個人的なものとしてあらわれ、
それに対する答えもひとりひとりの個人が答えるものです。
そうすることに意味があると「決断」(フランクル)することが
人生を意味あるものにすることです。

「この決断にあたって、人間の助けになったものがあります。
その決断にあたって決定的な役割を演じたものがあります。
それは、他者の実存、他者の存在、つまり他者が示す模範です。
それは、なにを語りなにを書きしるすよりも効果がありました。
というのも、存在はいつも、言葉よりも決定的だからです。」(フランクル)

ノートに抜書きするように戯れてみました。

 


  5月  11日 (木)     私も好きな言葉

ラザロさんの励まされた言葉は、イエスですね。
私も好きな言葉です。

そうか、「内村鑑三」ですね。
山本(七平)先生のお父様は直接教えを受けたと聞いています。
山本先生の山本書店は聖書考古学が専門の出版社でした。
山本先生の最後はすい臓がんで苦しまれたようですが、
信仰につつまれて静かに往かれたようです。 

  5月  10日 (水)     たまには病気の話などします

yururiさんやちゅうさんではないですが、1年前の私のメモを読み返してみ
ました。

5月2日が私の最終の抗がん剤の投与日です。あれから1年も経っています。
メモから抜き出してみます。

頭髪が抜け落ち鼻毛もなくなっていた。丸坊主です。
自分でバリカンを買って刈っていました。
副作用で筋肉痛になり薬を飲んでいました。

かゆみ、筋肉痛、悪心、ついでに風邪も引いていて鼻水がとまらなかった。
鼻からあごにかけて吹き出物がでて、ひどい顔をしていました。
ひげも剃らなくてもよくて、眉毛もなく描いていました。
おっと便秘で切れ痔になっていましたなぁ(笑)。

また、メル友から久しぶりに電話があって、驚いたことに彼女のお父様が
一昨年の私が肺がんの告知を受けた頃に、彼女の父親が
小細胞癌で亡くなられたと告げられました。電話口でしばらくガン談義。

彼女がロンドンにデザインの勉強をしている頃からのメル友でもう6年近い。
彼女はいま東京に住んでいて、後日、名古屋まで見舞いに来てくれました。
彼女のお母様がとても心配されて健康にいいからと手作りの食品を
持参してくれました。

韓国映画の「8月のクリスマス」と「ラストプレゼント」を観ていました。
とくに「8月のクリスマス」は主人公の気持ちが痛いほど分かると同時に
シム・ウナのファンになりました(笑)。
友人たちと会って写真をとると自然と私が真ん中になるところは、
「8月のクリスマス」と一緒です。

おー、5月は別物(べつもの=彼女)の誕生日でした。忘れていました(^0^)。
アウトレットモールに行っています。パーキンの30センチの黒が飾ってあり、
その前から別物が動かないもので、ドキドキしました。
どうやって誤魔化したのか(笑)、記憶にありません。
今のところユニクロで我慢させています。(笑)。

5月は地元の祭りでもあります。昨年、祭りにきていた伯父が
「mickeyは好きなことをしなさいよ」と言っていましたが、
その伯父も先日亡くなりました。

お袋が転んで助骨にひびが入り、介護タクシーを依頼して、
その縁でデイケアサービスを受けることになったのも去年の5月でした。
少し認知症ですが、軽度ですから、それはそれなりに悪くないですよ。
昨日は、母の誕生日でした。
私への誕生日祝いは肩(←私の肩)もみでしたが。
ディケアサービスから写真付の色紙を貰ってきていて、
うれしそうにみせてくれました。

私の治療の経過は良好で、ドクターからは
「1ヵ月先か半年先か数年後、大きくなってくると思いますが、
治療によって得られた時間は貴重だと思います」と言われました
(実際は、この言葉から2ヵ月後には再燃して、余命宣告に近いこと
を言われることになりました)。
「得られた時間は貴重」という言葉がとても印象的でした。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかで、あるガン患者を紹介したときの言葉をメモしていました。
Learn as if you will Live Forever, Live as if you will Die Tomorrow.
(永遠に生きるように学べ、明日死ぬように生きろ)
 

  5月  9日 (火) part2    死生命有り

 tokoさんはyururiさんと同じ頃に告知されていたのですねぇ。
私にアドバイスを求められると「死生命有り、富貴天に在り」
などと見当違いなことを言いそうですので、
tokoさんのお話を聞くことに専念することにさせていただきます。

「死生命ありと藪医者ぬかしたり」(川柳)の口ですから(笑)。

お仲間になったことがtokoさんの薬になるといいですねぇ。
 

  5月  9日 (火)     クスクス

亀井勝一郎は、まあ、恥ずかしいかもしれませんね(笑)。

そういえば、前日お話した30kgやせた友人に、
先週の土曜日に会ってきました。
夜9時には眠くなり、朝は3時半か4時には起きるそうです。
そして、自分の弁当をつくる。カロリー計算も自分でするとのこと。
家族は喜んでいるだろうと訊くと、誉めてもらっていないそうです。
質問していた女性陣が口を揃えて「変なの」と言っていました。
「まあ、あなたは昔からM気味だから快感なのでしょう」
と嫉妬した(?) 女性から指摘を受けていました(笑)。

30kgは医者から「デブを13年やったのだから13年かけて痩せなさい」
と言われたそうです。あばらが浮き出ていてカッターシャツから
分かりましたからあれにはびっくりしました。

カメラは十分に気に入りました。レコーダーとしても使えるなんて(笑)。
写真、なんとか撮れましたので一枚送ります。yururiさんのカエルを横においての写真はいいですねぇ。自分で撮ってみて差がよく分かりました。
 

カエルがないのでメガネを置きました。ガラスのお猪口を横に置いてみたりしましたが、似あわないし・・・今度の休みはカメラをもっていい素材を探しにいきます。腕がないから素材に頼ることにします。
そうすれば、なんとか形になる可能性があります。

まあ、せっかくいいカメラを買ったのですから、数を打てばそのうち・・・
(いけない、だんだんと自滅している)。

ミニ檸檬よりも赤と黒の方が微妙に書きやすいですよ。
ちゅうさんは、yellowの方がピッタリかもしれませんねぇ。
なにしろイエローですから(笑)。

  藤原正彦の別の本「祖国とは国語」を読んでいたら、
山本夏彦のことが書かれていました。
山本夏彦の「馬鹿は百人集まると百倍馬鹿になる」
などを引用しながら誉めていましたねぇ。
急に夏彦の毒舌が読みたくなって、いま手にしています。
しばし、夏彦尽くしでいく予定です。藤原正彦よりも一枚上手です。
 

  5月  8日 (月)     クスクス

今日(8日)はみなさんで一杯ですね。(笑)

「クスクス」、梶井基次郎と亀井勝一郎をあわてて間違えるということは、
yururiさんは「青春路線」まっしぐらな学生時代をスゴサレタノデスネ。
私も亀井勝一郎は高校生のときによく読んでおりました。
・・・大学では読んでいることを隠していましたが(笑)。

Vandalさんも(Lapita)購入されたのですね。理屈抜きにうれしいですねぇ。

そういえば、今日、カメラを発送したとメールがありました。
明日あたりカメラが届くようです。
届きましたら、最初に、「赤と黒」と「ミニ檸檬」を並べて撮る事にします。
キレイに撮れましたらオクリマス。

はるるさんのところは本当にいいご夫婦のようですねぇ。
罪な戯言を紹介してしまいました。

  5月  7日 (日)     仕事か・・・

HP、スッキリしましたねぇ。 

ご推奨のカメラにしました(笑)。店舗であれこれ迷うのは面倒なので
ネットで注文しました。来週、ドライブがてらどこかを写してきます。

車のエンジンルームのキャップは、ガソリンスタンドから中古品があったと
連絡があり付けてもらいました。
これで安心してドライブができます(キャップ代は取らなかったです)。

明日からまた仕事です。気分が重い。入院中、自宅療養中は
仕事がしたかったのですが、勝手なものです(笑)。


  5月  6日 (土)     万年筆が付録

未来さんのお母様は心配ですね。
いつだったか、日経新聞に、認知症が進行すると、男性は40才、
女性は18才の、人生で一番いい時期に戻り、男性は妻のことは覚えていて、女性は両親と子どもで、夫のことは忘れてしまう、
と初老の男性作家が紹介していました。なんとなく分かるような気がします。

今日発売されたLapitaを買いました。
この雑誌は知人の女の子からメールで万年筆が付録についていますよ、
と知らされて買ってきました。この万年筆がいい。
以前、梶井基次郎の檸檬の復刻でミニ檸檬の万年筆を
付録にしていましたが、こんどは赤と黒で素敵です。値段は980円。
遊びゴコロ満点の万年筆です。

  5月  5日 (金)     国家の品格を読んで

「国家の品格」はまだ途中ですが、意外とおもしろい。
はじめのほうで

いちばん身近で見ている女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷とのことです。私はまったくそうは思いませんが、そういう意見のあることはあらかじめお伝えしておきます。 「国家の品格」

というところは不覚にもツボにはまりました。

そりゃないだろう、という論理展開がときおりあります。
それでも、言い切り型の文章が明晰でほぉ〜と感心します。
仮説と割り切って読んでみると示唆に富んでいます。
養老猛司に通じる毒がありますねぇ。

「国家の品格」を読んでいて久しぶりに偽善という言葉に出会いました。

 「ポリティカリー・コレクト」(政治的に正しい)=「弱者こそ正義」
 このあまりに素朴な哲学は、現代人の偽善を触媒にして、ここ十数年間で世界に広がりました。 「国家の品格」 

いまは偽善を偽善とも感じなくなっている世の中ですね。
偽善というのは本人が気づいていないことが多いので単細胞といっていいでしょう。

内田樹が田口ランディの言葉として
「感情が割れることって、大切だよね」を紹介しています。
(「態度が悪くてすいません」・角川書店)。
「ピュアな怒りとか純度100%の愛などというものはこの世にはない」(内田樹)。

単音しか出せない、和音を響かせている、という表現でも区別しています。
感情を割れない人は、「シンプルな別人格として時間差出現」するそうです。
藤原正彦流に言えば「つけるくすりがない」。

・・・などと、最近読んだ本に触発されながら戯言(受け売り)などを。(笑)。

コブリさんも水俣病については感情が割れているのでしょうね。
割れているから信頼できるのですけれど。

「なばなの里」(5月3日参照)では、5月からバラ園を開くそうです。ここはベゴニアが常設されておりそれは壮観です。「花フェスタ記念公園」のバラもいいかもしれません。

浅見光彦は水谷豊が一番ですし、母親は乙羽信子、お兄さんは高橋悦史です、わたくし的には。連休の読むリストには『棄霊島』(上下)が入っています。つまり、私もファンなのであります。浅見光彦倶楽部(作家の居住地軽井沢に浅見のファンクラブが存在)に入るほどではありませんが、「棄霊島」までの100事件はたぶん読んでいると思います。私にとっての水戸黄門になっています。あのワンパターンがたまらない 。

  5月  4日(木)     「野遊び料理」でした     

玄関を入ると人の姿は見えず、御用の方は銅鑼を鳴らしてください、と書いてありました。銅鑼を鳴らすこともないと声をかけますと、奥から作務衣を着た若い男性が現れ、
部屋に案内されました。そこには先客として老夫婦(らしい)一組がいるだけでした。

古い大きな日本家屋で入り口から玄関まで石を辿りながら歩き、
玄関は普通の民家のようでした。
違うのは下駄箱が多人数に対応するようにできているぐらいです。

通された部屋で庭を眺めながらお茶を飲みました。
ガレのランブ(イミテーション)が窓際に置いてありました。
アールヌーボーが妙に似合います。旧家では来客用に洋室を
一室つくることがありますが、この部屋がそうだったのでしょう。

食事処に案内されました。和室に机と椅子が並べられ、
庭に面した窓際は老夫婦、床の間の前の席は私たちでした。
床の間を椅子で背負うのは初めての経験です。

食前酒(日本酒)からはじまって、料理が出されます。
旬の野菜、魚が少量ずつ順番に出されます。
どんなものがでたかは、私の知識では説明できないので、省略します。
お刺身にはつつじの花がひとつ添えてありました。
庭は野遊びの趣旨からか、そこそこに荒れており、
つつじの花が淋しげに咲いていました。

「お客が少ないね」
「連休だからでしょう、平日は奥様方で予約が取れないのよ」
あっそう、と苦笑いです。奥様方は強い。
20名くらいが定員の食事処で2組だけでしたので、
静かにゆっくりと食事か取れました。

ご飯は机の上で火を入れてつくる炊立てです。
おかゆと白ご飯のふたつがそれぞれに炊かれます。これが美味しかった。
おこげもあります、との説明でしたので、おこげまで計算して炊かれているのでしょう。

食後のデザートとコーヒーは別の場所で庭をみながら頂きました。
これほど空いていたのですが、飛び込みのお客は断っていました 
(店の人が電話を入れていただければ店が空いている場合
当日でもご用意できますから、と言っていました。完全予約制のお店です。
店の人に話を聞くと、予約がない日は店を開かないそうです)。
およそ2時間ゆっくりと頂きました。

四日市の近郊では、萬古焼(ばんこやき)・菰山焼(こざんやき)が有名です
その創作グループが展示販売のお店を開いており、
その系列の食事処です。つかわれる器もいいものでした。

四日市まで行くのに行楽の車が多く通常の2倍の時間がかかりましたが、
ゴールデンウィークの喧騒からひととき離れて素敵な時間が流れました。

おっとお値段はひとり3,500円の一番安いコースを頼みました。
この値段では採算は取れないでしょう。
陶器の顧客相手のメンバーズサロンというのが
一緒に行った別物(べつもの)の解説でした。
・・・お腹も気持ちも一杯になって帰って来ました。

自然食レストランはおいしかったです。我々も終始ご機嫌。
給仕をしてくれたのが作務衣を着た同世代の女性で
丁寧な説明をしてくれましたが、薀蓄を語るという雰囲気ではなかったです。
私は説明よりも目の前にだされたものに興味がありますから、
ほとんど聞いていないですけれど(笑)。
春巻きにチーズが少量でおいしく
「おっ、チーズがいいねぇ」と言うと
「さっき言っていたでしょう、ほんと聞いてないのだから」と叱られました。
・・・「テーブルに肘をつかない」
「すいません、すいませんと言わない」
(ありがとうの意味で「すいません」が私の口癖)と食事中、叱られっぱなしでした。
そちらの方がうるさい。

帰り際に「次回ご予約していただくとき、前回いつきたと教えてください。
旬の料理がメインですが、趣を変えたものにしますから」とのことでした。
客により料理を微妙に変えるのでしょうか。

厄落としができたようです。

  5月  3日 (水)& 4日(木)     厄日とチューリップ


 

古い携帯で撮りましたので、小さいですが。
「なばなの里」という長島温泉の系列です。
人が一杯でした。
120万球のチューリップが1万3000坪に一杯でした 
(宣伝文句ですので割引は必要ですが)。

チューリップ畑は、厄日に唯一の救いでした。
知人から10年ぶりに会いたいと電話があり、昨日(2日)待ち合わせました。

車で待ち合わせ場所に行こうとエンジンをかけようとするとかからない。
久しぶりに乗るものでバッテリーがあがっていました。
JAFFにきてもらい、動かすことはできたのですが、ボンネットをあけるとエンジンルームのキャップがないことを指摘されました。
オイルを交換するときにガソリンスタンドが忘れたらしい。

オイルが吹き上がりすぐ隣の点火系に漏れると走っている途中でエンジンが止まることがありますから危ないですよ、と指摘されました。
最近はたまにしか乗らないとはいっても、
すでにキャップなして3000kmは走っていて、
そろそろオイル交換の時期になっています。

交換したのが昨年の8月ですから、半年以上も危ない状態で走っていました。
まあ、ともかくも待ち合わせ場所に、と急ぎました。
ところが、来ない。道に迷ったそうです。

ナビを頼りにすぐに行きますからと待つこと1時間、まだ来ない。
で、わかりやすい所ということで「なばなの里」に待ち合わせ場所を変更。
その時に撮った写真です(厄日はまだまだ続く)。
彼の勤務先の関係で保険というか資産運用の話でした。
・・・ガンで保険には入れない、
金も見事にない(^0^)ので顧客にはなれない旨を説明しました。
歩合給のようでわずかな縁を頼りにセールスしているのでしょう。
・・・会っている間も私の病気の話はなかったです。

余りに見事に現在資産がないものですから、呆れられました(ほっといてくれ)。
いままでの経歴から資産があると考えられてもおかしくはないのですが、
ないものはないのであります。

帰りに問題のガソリンスタンドに寄りましたが、昨年夏の話で残っていない。
責任問題も曖昧です。で、キャップの取り寄せを依頼しておきました。
スタンドの人も車には乗らないで下さいとのこと。
もう、3000kmも乗っているし、明日も出かける用事があるから乗る、
と言うとガソリンタンク用のキャップを探し出し応急措置をしてくれました。
走っている途中小まめにエンジンオイルの量を調べて下さい、と言われましたが・・・。

ということで、これから外出です。
四日市(昔は四日市ぜんそくで有名でした)で
予約したレストランまで車で1時間ほど。
予約をとるのが大変だったそうです。
まずかったら許さないぞ、と勝手なことを思っています。

  5月  2日 (火)    高野山

■ 高野山
はるるさんの「高野山」の写真はいいですねぇ。
私は、行きたくてまだ行っていないのが高野山です。
枯山水のお庭もよさそうですねぇ。
同じ密教でも天台宗とは違って本家本元と言う感じがあります
(こんなことを書くと叱られそうですが)。
陛下がお座りになった部屋は誰でも入ることができるのですか。
行きたいですねぇ。
・・・10年以上前ですが、比叡山で昭和天皇が
休憩された部屋をみせていただいたことがあります。
案内していただのがいま当代座主になっている方でしたが、
ひょうひょうと自然体で、あれまぁ、でしたが魅力的な老僧でした。
・・・高野山、空海、憧れの地です。憧れすぎてまだ行っていない。
何日か逗留しながらゆっくりと歩いてみたい高野山です。

■どちらの悲しみが深いか
患者、残された家族、どちらの悲しみが深いか、
などということは比較できません。
「そないなことわかるかい」です(^0^)。
ただ、残された家族の悲しみは、その後の生き方で
その悲しみを計られることになりますので、
残される家族のほうがその点厳しいかもしれません。
忘れることが供養ということもあります。

■不条理について

NHK-BSで若い人たちに本の紹介をする番組があった。安部公房「砂の女」、カミユ「異邦人」などが取り上げられていたが、若い人たちは作家の名前も、カミユの異邦人のテーマとなっている「不条理」という言葉も知らず、「嘘だろ〜」とツッコミを入れたくなるほどのアホらしさ。mickeyさんは「不条理」ということで、カミユとカフカを比較をした。

(不条理は)カフカの「変身」の、ある日、朝起きたら一匹の甲虫であることを
「発見」するというのがよりピッタリしているかもしれません。
甲虫になるのではなく、甲虫である自分を「発見」してしまうところなど
ガンの告知によく似ています。
ガンになるのではなくて、ガンであることを発見するところなどまさに「変身」です。
意識は変わらないのにガン患者に「変身」している自分を
発見させられるのですから。

・・・カミュと違って「不条理が不条理に昇華しない」(松岡正剛)
というところなどカフカは厄介です。
しかし、カフカの主人公たちはタフです。不条理をそのまま生きてしまいますから。
カミュは不条理を不条理に昇華させることによって希望に近いものを提示しますが、
カフカはそれすらない。