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 <8>さすらいのバンドマン
 相棒のmiyaさんは現在プログラマーという職業だが、以前は全く関係ない仕事をしていた。
 某私立音楽大学に学び、学生時代からジャズピアノの仕事をしていたが、忙しくなったので大学を4年でやめてしまった。

 返還前の沖縄海兵隊基地クラブで演奏していたら。軍属(軍が雇用している民間人)に「譜面が読めるのだったらベトナムに渡って米軍基地で慰問の仕事をしない?。危険手当てもたっぷり出るよ」と誘われ、知らない所、行ったことのない所が大好き人間は、「はい、はい行きます」と引き受け、ベトナム海兵隊基地クラブや前線慰問のバックバンドでR&B、Jazz等の仕事をしていた。
 
 日本へ戻ればジャズだけの仕事なんてそうそうあるものではない。それで、いつしかさすらいのバンドマンになっていった。バンドマンといっても「ハコ」と「ヒロイ」と区別され、「ハコ」というのは、固定したキャバレーやクラブの仕事、「ヒロイ」というのはフリーでの仕事。分かりやすく言えば「プータロー生活」。これはどうしたらなれるのかというと、自分で「私はフリーになりました」と言えばよい。
 
 しかし、フリーと言ってもかっこよいものではなく、演歌歌手の営業の仕事について地方へ行くことがほとんど。いわゆるバンドの仕事も、戦後から始まった美味しい時代の最後といえる“残響部分”にさしかかり、急速に斜陽化が始まっていた。
 
 バンドにはもう将来性がないと感じたmiyaさんは、ちょうど8bitのコンピュータが個人でも買える時代になったチャンスを逃さなかった。彼は、鉄道少年→ラジオ少年と“ヲタクの王道”を歩んで来たので、躊躇なく購入し、独学(今のように本も無く、乏しい情報を頼りにするしかなかった)でいつしかプログラマーとしての生活に切り替えていったのである。そして、今日“ヲタク道”を貫き、コンピュータおやじになっている。

 バンドマン生活時代はそこそこ収入がよいわりに時間もあったからうまくいったが、その時期に切り替えられなかった人はバンドの仕事自体が減ったので苦労しているようである。

 バンドマン時代の話は抱腹絶倒物なので、うまく伝えられないかもしれないが、箸休め的に記録していくことにした。「さすらいのバンドマン」を主人公にした小説を書けばというのだが、今は時代が違うから売れないよとそっけない。そういえば、いまは音楽テープに口パクが多いから、バンドマンといっても通じないかもしれない。

 でも、音楽の構造や音程にはめっぽう強いから、今の音楽(←miyaさんは「語り物と言うジャンルだよ。あれが音楽なら、私はお殿様ですと言っても嘘ではないとのたまう)はとても聴いてられないということで、私は歌番組を全然聴かなくなってしまった。
 なんせ、音程が比較的正確と評価したのが米米クラブの石井
竜也と、ドリカムの吉田美和しかいない。あとはケチョンケチョンなのだ。

 でも、音楽素人な私がきいていても「ひぇ〜、声が裏返ってひどい」とか「音程めちゃ外してる」といった歌手が多いから、miyaさんが切ないねーと言うのも無理はない。

 ■○○刑務所以来だね
 バンドマンには刑務所慰問という仕事があった。地域の興行権を仕切っているその筋の人がつかまると、刑務所内で勢力を誇示するために、「おれはタレントを呼べるのだ」と言って、その筋を通して慰問に招く。タレントは大体決まっていて、演歌系の歌手になる。

 男性刑務所には男の歌手が行くが、女性刑務所に興行権をもつ人はあまり入所しないので、あまり慰問はない(たまにはあるが)。

 まれに、女性歌手が男性刑務所に行くことがあり、そのときに、慰問を見たい服役囚は興奮しないように、グランドを何十周か走らされる。見たくない人はタバコの支給があり、グラウンドでプラプラしていいそうだ。

 講堂への楽器の運搬は服役囚がしてくれるのだが、出所が近い人がするので髪の毛も坊主でなく、少し長くなっている。
 刑務所に入ったばかりの人から、出所近い人まで、ランクが分かれ、面会できる人や諸々のことが決まっているといった刑務所の仕組みなどの説明を受けつつ、いざ慰問会場の講堂へ。
 服役囚たちはみな正座して待っている。
 慰問は、女性演歌歌手、漫才、手品などの人がセットになって行う。漫才の人はドサ回りでよく会う顔なじみである。仕事も無事終わり、ガハハハなどと笑いあってその日は別れた。

 それから数ヵ月後――
 上野から山の手線に乗ったところ、離れたドアから漫才の人が乗ってきた。見た顔だと認識したとたん、「お〜〜い、miyaさん、久しぶりだねー。黒羽の刑務所以来だねー」と大声。
 とたんにmiyaさんの周りの人たちがズズズと後じさりし、妙な空間ができた。

 「変なこと言わないでくださいよ。誤解されるでしょ。刑務所慰問以来と言ってよ」と言ったら、「行った事実は変わらないよ」
 「それは少し違うよ」と大笑いになったそうだ。
 miyaさんは凶悪な顔はしていないが、きっと私がその場にいてもズズズと逃げたことだろう。
 20数年位前、miyaさんが30代のときの出来事である。刑務所慰問は5〜6回行ったそうだ。
 

<2005年11月13日>