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 寒くなったねとmiyaさんにいったら、「そういえば、最近カイロというものを見なくなったね」と切り出した。
 
 今でこそ使い捨てカイロばかりだが、昔は金属製のカイロがあり、四角い形の白金カイロと円形のナショナル製が有名だった。冬、バンドマンの仕事で東北へ行くと会場が寒くて指がかじかんでしまうから、カイロは必需品だった。それでいつしか“白金カイロ原理主義”と、“ナショナルカイロ教”の二派に分かれ、それぞれ自分の使っている製品の方が優れているとして派閥ができていた。
 
 <14>オイル求めて雪道を歩く
 あるとき、青森県か岩手県にドサ回りへ行ったとき、誰もオイルをもっていないことに気づいた。そうしょっちゅう使うものではないので、忘れてしまったのである。
 「なんでオイルもってこないのよ。オイルなきゃただの金属の容器じゃないか」
 「誰かオイル買ってこいよ」とじゃんけん。
 負けた人が「ハイハイ、注文とるよ。白金カイロ原理主義の人はこっち、ナショナル教の人はこっちに個数を書いておいて〜」

 どっちも同じベンジンだから、瓶で買ってくればいいのだが、つぎ分けるとこぼしたりして臭くなるから、小分け容器に入った純正品を少し高くても買っている。
 miyaさんはじゃんけんに弱いので、負けてしまったが、「白金カイロ原理主義は私が代表して買いに行くけれど、ナショナル教はそっちで入手して」とKさんを誘った。一人で行くのがいやだから、誰かを誘う口実である。

 会場となった体育館受付で主催者の商工会の人に「カイロのオイルを買いに行くんだけど薬屋は近所にありますか」ときくと、「北の方に5分ほど行くと薬屋があるよ」
 「5分位ならば洋服着替えないでステージ衣装で行っちゃおう。あ、雪が降ってきちゃったよ。ま、5分くらいなら、このまま行ってしまおう。で、どっちが北ですか」
 あっちと指差した方角を見ると「地平線が見えるぞ〜。わーぉ、雪で霞んできちゃったから早く行こう。カイロがないとステージ寒いからね〜」
 「おいおい、雪で前が見えないよ」といいながら5分歩くと、雪の原野のまっただ中。
 「どうする、戻る?」「戻れないよ。どっちからきたんだよ、おれたち」「薬屋で聞かないと帰り道分かんないよ」

 雪の中で黒いステージ衣装の二人。
  「これで拳銃でも持ってたらまるでフランス映画だよ。でも、あそこに野つぼがあるよ。フランス映画には野つぼなんかないだろう」
 「野つぼの出てくるフランス映画かい、シュールだね〜、ギャハハハ」

 さらに歩くこと10分。
 「どうする。山林みたいになってきちゃった」
 「だいじょうぶか?あの受付の奴、人間だったのか。狸とかじゃなかったか。このへんで葉っぱでも拾っておかないと、葉っぱがお金ですといわれたら立場がないよ」

 それからさらに10分歩いて、やっと小さな集落が出てきて、薬の他に、本と文房具、サンダルとか売っている店があった。
  「この雪でサンダルなんか履く奴いないよなぁ」
 とりあえず「おじさん、カイロのオイルください」といったら、大きなベンジンの瓶を出し、これでいいかときくから、「だめだよ、ナショナル教と白金カイロ原理主義と争いになるからだめだめ。純正品」というと、そんなものはないという。

 「あんたら変な格好しているけれど、どこからきたの」
 「体育館から歩いてまっすぐ来たんだよ」
 「そんなところ人は通らないよ」
 「え、どこを通って帰るの」
 「この前の舗装道路を行けば1時間位で着くよ」
 「えーっ、だって受付の人が5分と言ったよ」
 「あんたら体育館には何できたの。歩いてきたわけではないでしょう」
 「バスできました」
 「じゃ、そのバスでくりゃいいじゃない。免許あるんでしょ」
 「何言ってるのよ、おれたち大型の免許もってないもん。それに貸し切りバスだもの」
 「だって、乗ってきたんだろ」
 「客として乗ってきたんですよ」
 「しょうがないねー、この辺で車がないと生きていけないよ。じゃ、うちの娘が体育館に行くから乗っけてってやるよ」
 
 というわけで、本当に5分で着いた。
 車に乗ってほうほうのていで帰ったら、「なんでステージ衣装そんなにぬれてるの」「頭ぺったりだよ」などと言われた。
 かくかくしかじかと説明していると「あ、オイル、もってる奴いたのよ」
 それでmiyaさんたちは大むくれ。「もうこのオイルはやらない。旅の間じゅう、おれたちが使う。何か、おれたちに含むところがあって意地悪したわけ」 
 
 ■哀しきうどん
 公演が終わってバスに乗るころには雪もさらに激しく降ってきた。 ふとバスのタイヤを見るとノーマルのタイヤである。
 「運ちゃん、チェーンまかないの?」といったら、まかせろといわんばかりに腕をポンポンと2回叩いた。 「だいじょうぶ? 本当に乗るのかよ〜」
 さんざんな1日だった。

 「早く旅館に行って飯食おうよ。マネージャー今晩どこで泊まり?」
 「花巻でいいホテルとってあるから」
 「ゲッ、200キロ以上あるじゃない」
 「今9時だから1時かそこらには着くよ」
 「飯どうするの?」
 「旅館まで我慢してね。差し入れのプリンならあるけど」
 「胸焼けするからいらないねー」
 「でもどんなプリンがあるの?」
 タッパーにいっぱい入ったプリンを見て「世の中にはよく分からない人がいるね」「雪の中をステージ衣装着て30分も歩いてカイロのオイルを買いに行く奴もいるからね〜」「商工会の人に頼むんだよ。そういうときは」

 「カンバン、今度から何が好きと聞かれたら、ウニとかカニとかカラスミとかキャビアとかが好きですと言ってね」
 「おれは塩煎餅が好きだから、今度、塩煎餅って言ってもいいよ」
 とにかく腹をすかせた一行を乗せてバスは県道を行く。畑の真ん中、山の中、外は真っ暗な中を延々と走る。

 「マネージャー腹減ったよ〜」
 「エサは芸が終わってから」
 「芸、終わったよ」
 「もうちょっとだから」
 「そんなこと言ったって後3時間もあるじゃん」
 しかたがないから、後ろの席は花札、前の方はグースカ寝ていて、真ん中はヨタ話。 
 
 そうすると、前の方にポツンと小さな灯りが見えた。
 「あ、自販機だよ、自販機!!」
 「とにかく自販機だよ、食い物があったら買うから停めてよ」
 「バスをこんなところで停めたら、じゃまになるんじゃないの」
 「もう2時間も走ってるけど、車見てないよ」
 「あ、うどんの自販機だよ、やったぜ〜」
 バスの中は大歓声。
 
 「ほら、押すなよ、押したって出られないよ。扉開いてないんだから」
 「どうしてバンドマンは社会性がないんだろうね。食い物というとすぐ血走っちゃうんだから。まぁ、落ち着きなよ、もっと」
 「なんでおれの前に出るんだよ」
 「おまえだって十分逆上してるよ」
 「あ、200円出して。はい、並んで、並んで。握りしめていないと時間がないから」

 その自販機というのは、発泡スチロールの器が下りて、そこにゆでめんと天ぷら(タマネギとニンジン)が落っこちてくる、その後、管がスルスルと下りてきて、熱いおつゆがジャーッと出る。

 「うまそうだね、なんでもいいから早く早く」
 順調に3人目、4人目、5人目……。
 「あ、おつゆが出ねぇよ。みんな、待った。おつゆを飲むな。おれの分出ないからおつゆちょうだい」
 「あ、おれも出ない。なんだよ、その後全部出ないよ」
 5人目以降は発泡スチロールの中に、ゆでめんと天ぷらだけしか出なくて唖然、呆然(miyaさんは8番目くらいだった)。
 先の4人に「みんなでおつゆを分けるのだから飲むなよ」
 「おつゆなんてちょっとしかないんだから分けられないよ」
 「だったら、食い終わったら器ちょうだいよ。それをかけて食うから」
 
 「だめだよ、天ぷら崩しちゃ」「早く食えよ」「容器に口つけないで食えよ」「どうしてみんなのこと考えないんだよ、おまえは。そういうことだからアンサンブルやってもだめなんだよ」

 その後3人目ぐらいまではなんとかおつゆに色がついていたが、それ以降はドブ水のようになっていた。それでもみんなで食べて「俺たち戦火を逃れて移動する難民みたいだね」
 食べ終わってひと心地つき、「やぁ、結束することは気持ちがいいね」などと減らず口をきいてバスに乗り込んだ。
 ドサ回りは哀しいね〜と、寒い道路で心も一層寒くなり、一路花巻温泉へ向かったのである。

 花巻では豪華な食事だったが、みそ汁と漬け物とごはんで早々に温泉へ行った。疲れると豪華な食事は喉を通っていかないのだ。旅館の人、ゴメンネ。

 寒い季節になるとふと思い出すエピソードだそうだ。今は寒いときでもコンピュータの前でぬくぬくと仕事ができて、ごはんも定期的に食べられて幸せだなぁ〜、カイロも要らないし……とmiyaさんは現在の環境にえらく満足している。

(2005年12月12日)