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  W.Sさん
    62歳、B型
    話:2003/9/11
     

  W.Sさんは肺がんでなく、胸腺腫ですが、がんと似たような病気で抗がん剤を使っているので、お話を聞きました。

 【きっかけ】

 1995年の区民検診で見つかりました。私は肺がんではなく、病名は「浸潤型胸腺腫」。昔は難病に指定されていたそうで、先生が宝くじに当たったような珍しい病気だというから、「どれぐらい?」と聞くと「4等くらいかな」って言われてしまいました。胸膜腺腫は良性腫瘍といわれていますが、腫瘍自体が大きくなっていって飛び散る種類なのです。だから、やはり治療していかなければならない。進行はゆっくりですが、症状が進んでしまうと筋無力症になる人もいるそうです。


 私は「前縦隔腫瘍」ということで、最初の入院は1995年11月7日から翌年4月8日までの長きにわたりました。化学療法で4クール(シスプラチン、アトリアマイシン)、CHOP療法というのをやって3か月半後に退院、引き続き、外科に移って手術を受けました。「胸骨縦切開、拡大胸腺切除術、心膜・左肺上葉合併切除」というものでした。手術を受けた2月29日は冬季オリンピックの期間中だったのでよく覚えています。体力が回復してからは3月25日から4月11日まで放射線治療(15Gy)を受け、4月18日に退院しました。放射線は目に見えないところを消すために行うとのことでした。

 【2001年】
 2回目の入院は2月5日から8月19日まで7か月間に5回入院し抗がん剤を打ちました。
 1クール目:2月  5日〜3月 4日(27日)
 2クール目:3月23日〜4月18日(18日)
 3クール目:4月23日〜5月10日(18日)
 4クール目:6月20日〜7月13日(14日)
 5クール目:7月30日〜8月19日(30日)
 
 トータルで50mgしか入れられないので、この段階で自分の体に対して許容量がいっぱいということだったのでしょう。体が悲鳴をあげて、いったん抗がん剤治療は終了しました。このときにはすっかり毛は抜けましたが、12月頃にまた生え揃いました。

 【2003年】
 2001年11月にCTをとったところ、再発したのがわかり、再度翌年2月に検査したら2mm大きくなっていました。「大きさが変わらないならばそのままでもいいか」と思ったのですが、先生からやはり大きくなっているので治療をしたほうがいいとすすめられ、2月に治療を開始しました。この間自覚症状は全くなかったんですよ。

 右肺、肝臓、骨、頭、左胸の血管近く、といろいろなところに飛び散って、まるでトッピング状態。

 2月19日から2月22日まで4日間、検査入院。それから3月10日〜12日まで3日間入院。11日に抗がんを点滴し、3日目に退院。以後外来でということでしたが、4日目くらいに薬疹が出てしまいました。それで、いったん中止。その後、期間をおいて外来できていました。

 通院の場合、1週間に1回抗がん剤を入れて3回続け1回お休みという予定でしたが、血管痛が出たのでいったん中止。そのあとの療法を考えましょうということになりました。ここで先生が交代。M先生が宮崎県に行ってしまい、担当がK先生になりました。病状の進みが遅いということで、急ぐことはないと言われ、9月に2クール目の入院になりました。

 【明るく】
 私が肺の中がトッピング状態なんていうとびっくりする人がいますが、なってしまった病気に対してクヨクヨしてもしかたがないと思ってるの。ほかの病気と比較しては悪いけれど、肺は空気や血液が入るきれいな臓器でしょう。だから、肺の病気でよかったと思うことにしています。長くつきあっていくと思うと、しかたがない、気長にいこうとあきらめがつくでしょう。仕事があるというのも、励みになっているのかな。お大事になんて言いながら、で、いつ仕事できるのといった調子ですからね。

 自分の病気と治療のことはきちんと把握していたいから、抗がん剤の種類や回数、放射線の量などは先生に聞いて、全部メモにして残しています。入院のたびにそのメモ一式を持ち込んでいつでもチェックできるようにしています。ほかの人たちは言うがままに治療を受けている人が多いけれど、自分の体だし、やはりきちんと知っておく必要はあると考えています。

 【森山先生の思い出】
1996年に入院したとき、お医者さん(というより森山先生)はエライなぁと思った。森山先生は外来診療の日でも病棟に上がってきて遅くまで仕事をしていたから。あのころは独身だったので先生も遅くまでできたのかなぁ。入院しているときにも患者さんをあそこまで思ってくれる人はいないと感心していました。そういうものが伝わってくるのね。

 その後、自宅で具合が悪くなったときに救急車で「駒込病院」に運んでもらったことがあるのだけれど、着いたら「森山先生に」とうわごとで頼んだらしい。そのときに「私は森山先生と一緒にやっていますから」と診てくださったのがK先生。森山先生がいなくなった後の担当はK先生だから、なんだか不思議な感じがします。